私鉄 事故廃車一覧
2ちゃんねるにうp用に簡単に作った一覧表。不謹慎なのは分かってるので本気にして取り扱わないように。原則、新性能電車と昭和32年以降に製造された車両のみ。
斜体は修理扱いの代替え新造、下線付きは事故後保留中の車両。 国鉄〜JR各社はこちら

最近の事故。廃車になっても不思議でないもののみ掲載。(更新遅)

内部リンク : 東日本大手私鉄・準大手・公営-西日本大手私鉄・準大手・公営-東日本中小私鉄・第3セクター-西日本中小私鉄・第3セクター


付随車化され8600系サ8177になり、玉突きでサ8167が廃車になった。 -->
車両番号事故日発生場所詳細死傷者備考
東日本大手私鉄・準大手・公営
東武鉄道
モハ2109
昭和42年
9月29日(金)
20時10分頃
営団地下鉄(現:東京メトロ)日比谷線
中目黒駅構内
地図
 北春日部発中目黒行き下り列車として6両編成で運用していたが、故障が発生したため恵比寿駅から回送列車となり、北千住発中目黒行の6両編成の列車に後押しされて中目黒駅5番線引き込み線に入線しようとしたところ、高さ約1.5メートルのコンクリート製の車止めに時速約15キロメートルで衝突。そのまま乗り上げて約10メートル走行した後、30度ほど傾いて下り本線を支障する形で停止した。1, 2, 6両目が脱線し、特に先頭車は連結器が押しつぶされ前台車の車輪がもぎ取られるほど大破した。運転士は衝突の際に足を挟まれて動けず救助隊に救助された。支障された本線では列車が接近していたが、事故に気付いて約20メートル手前で急停止したため衝突は免れた。
 事故原因は乗務員間の連絡不足。故障で自走できない2109Fは後押ししてもらっているため、引上線で停止位置に達したら救援列車の乗務員に2109Fの運転士からブザーで連絡があるはずだったが、無かったらしい。2109Fは日比谷線広尾駅でヒューズが飛ぶ故障を起こしており、広尾駅から別の列車に後押ししてもらって恵比寿駅まで運行を続けて、恵比寿駅からは回送列車となり、中目黒駅の引き上げ線に入線しようとしていた。
画像(衝撃画像注意)
2109Fの運転士が重傷同年6月にナニワ工機で代替新造。書類上は代替新造ではなく修繕扱い。
東武鉄道
モハ2312
昭和43年
1月27日
12時20分頃
営団地下鉄(現:東京メトロ)日比谷線
神谷町駅付近
 神谷町駅車両火災事故の被災車。中目黒発北春日部行上り列車として6両編成で運用していたが、六本木駅で主抵抗器が赤熱・発煙しているのが見つかり営業運転を打ち切った。後続列車に後押ししてもらって霞ヶ関駅の側線へ回送しようとしたが、隣の神谷町駅に着く前に3両目のモハ2312の主抵抗器付近から火災が発生し、自走不能となった。モハ2312が全焼、別の1両も半焼した。回送列車のため乗客への人的被害は無かったが、駅間で火災が発生したため消化に手間取り乗務員・消防士に負傷者が発生した。
 主抵抗器の発火原因は、事故の1時間ほど前に主制御器の進段トラブルがあったためモハ2312を含む第2ユニットを開放したが、その際にモハ2312の主抵抗器が進段途中で停止したままで常に発電ブレーキが掛かっている状態になっていたため。
画像
乗務員や消防隊員ら11人が負傷。 東武2000系は当時のA-A様式の不燃化基準を満たした車両であったにも関わらず炎上したことが問題となり、事態を重く見た運輸省(現:国土交通省)はA-A基準と呼ばれる新たな地下鉄車両の不燃化基準を設けた。
 モハ2312は同年11月にナニワ工機で代替新造。書類上は代替新造ではなく修繕扱い。
東武鉄道
モハ2116
モハ2216
モハ2366
モハ2266
モハ2566
モハ2666
モハ2316
モハ2416
平成4年
6月16日
8時50分頃
営団地下鉄(現:東京メトロ)日比谷線
中目黒駅構内
  中目黒駅構内の引き上げ線へ入庫しようとした東武2116Fが、出庫中の営団3000系の後ろから3両目付近の側方に衝突した。引上げ線上での事故であったため人的被害は無かった。
 直接的な原因は2116Fの運転士の第2入換信号見落とし。しかし従前は本線停止目標位置の第1入換信号で制御していたものを、折り返し時間を短縮して線路容量を増やすために入出双方向同時進入を許容し第2入換信号まで進出するよう改めたが、そこは引上線内としてATC防護を行わなかったため、支障限界まで10メートルしかなく誤って過走した場合に停められる余地がなかった。
なし2116Fは車両更新の時期であったため、修理されずそのまま廃車された。きっと書類上は老朽廃車。
営団3000系側(車両番号調査中)も廃車された。
東武鉄道
クハ5174
モハ5274
モハ5374
サハ5474
モハ5574
クハ5674
平成14年
10月25日(金)
6時27分頃
野田線
運河〜梅郷
地図
 船橋発大宮行きの上り列車538レとして6両編成で運用中、時速約70kmで走行中に後方の屋根上からドンという異音を感知した。非常制動を手配し、停車して確認すると前から2両目のモハ5574の車内とパンタグラフ付近から発煙しているのを確認したため、消火器及び消防車からの放水で消火した。乗員乗客約100人は停車後にドアを開放し車掌の誘導で避難したため死傷なし。
 原因はパンタグラフ付近に設置されていた避雷器内部で部品破損により短絡が起きアークが発生し、走行時の風によりパンタグラフ支持部付近に飛び火したためと考えられている。
画像
なし。 野田線への8000系転入が開始されたため修理せずに編成ごと廃車された。
書類上は老朽廃車。
東武鉄道
クハ6213
昭和41年
2月9日(水)
6時44分頃
伊勢崎線
春日部〜姫宮
(北春日部駅は未開業)
 日光行きの準急第233列車として6両編成で運用中、踏切を無理に横断しようとしたダンプカーと衝突。先頭のクハ6213が脱線転覆し大破した。不明クハ6213は昭和40年3月にナニワ工機で新造されたばかりの車両だった。修理扱いの代替新造?その後6050系クハ6267へ改造の上、平成26年3月現在も現役
東武鉄道
モハ7808
クハ808
昭和45年
10月9日(金)
20時17分頃
伊勢崎線
鷲宮〜花崎
207号踏切
地図
 浅草発伊勢崎行き準急列車として運用中、踏切内で大型ダンプカーと衝突。大規模な脱線転覆事故となり、2両が大破し廃車。
画像(衝撃画像注意) 写真は3両目のモハ7865。
5人が死亡、173人が負傷。東武鉄道唯一の踏切事故による事故廃車となった。
東武鉄道
クハ8107
モハ8207
モハ8307
サハ8707
モハ8807
クハ8407
平成22年
6月11日(金)
23時46分頃
野田線
八木崎〜春日部
野87踏切
地図
 大宮発柏行き6両編成の普通2333レとして運用中、踏切が鳴っているにもかかわらずゆっくりと侵入したバンと衝突。脱線には至らなかったが先頭車の8107のスカート・エアホース・一部床下機器が破損などを損傷した。
画像 画像
バンの運転手が軽傷。 置き換えが進んでいた時期だったため修理せずに同年7月5日付けで編成ごと廃車。老朽廃車扱い。
東武鉄道
クハ8115
モハ8215
モハ8315
サハ8715
モハ8815
クハ8415
平成19年
12月4日(火)
野田線
江戸川台駅構内
電気系統の故障で使用不能となった。編成ごと廃車。不明平成20年3月23日付で老朽廃車。
東上線で廃車となった8504Fを一旦七光台に送り込み、まとめて廃車回送された。
東武鉄道
クハ8134
モハ8234
モハ8334
クハ8434
モハ8523
クハ8623
平成19年
8月2日(木)
野田線
大宮公園駅構内
電気系統の故障で使用不能となった。編成ごと廃車。不明平成20年1月30日付けで、東武8000系初めての編成単位での廃車となった。ただし老朽廃車扱い。
自力回送が出来ず、七光台での解体も出来ないため、廃車となった8571F、8578F、8580Fを使用し2回に分けて廃車回送された。
東武鉄道
クハ8139
昭和44年
12月9日(火)
8時14分頃
伊勢崎線
館林〜多々良
309号踏切
地図
 館林事故の被災車。伊勢崎発浅草行き上り準急列車として運用中、踏切で大型クレーン車と衝突。先頭車両だったクハ8139は車体がくの字型に折れ曲がり大破した。
画像(衝撃画像注意) 画像(衝撃画像注意)
7人が死亡、101人が負傷。 事故後、運輸省(現:国土交通省)が現場踏切の立体交差化を勧告。昭和46年9月14日に跨線橋が完成し踏切は廃止された。
 クハ8139は新製から1年程度だった。翌年4月に車体を新製し運用復帰した。書類上は代替新造ではなく修繕扱い。
東武鉄道
クハ16659
平成12年
3月24日(金)
20時10分頃
春日部検修区(現:南栗橋検修区春日部支所)
地図
 検修区内で6両編成の列車の入換中、ブレーキが効かなくなり時速約20キロで車止めとその先の壁に衝突し突破、約5メートルの道路を横切り、民家の近くに停めてあった軽自動車に衝突した。もう約4メートル進んでいれば民家に衝突していた。
 原因は反対側の運転台で既にブレーキが掛けてあったためらしい。この事故で列車の車体も損傷したため代替新造。
不明 現在は車止めと壁の間に砂利の壁ができている。
 クハ16659は利用可能な部品を流用して車体を新製し運用復帰した。書類上は代替新造ではなく修繕扱い。
東武鉄道
モハ23852
モハ24852
平成12年
3月8日(水)
9時1分頃
営団地下鉄(現:東京メトロ)日比谷線
恵比寿〜中目黒
地図
 営団地下鉄脱線衝突事故の被災車。中目黒発竹ノ塚行きの普通列車として運用、時速約45キロで走行中に、乗り上がり脱線を起こした対向列車の最後尾車両(営団03-802)が5両目のモハ24852、6両目のモハ23852の側面に衝突して側面がもぎ取られるように大破した。東武車は乗客950人・乗車率95%と混雑しており、アルミ合金製の車両に衝突されたことで多数の乗客が死傷した。(アルミ車体は衝突されると鋭くザクザクに破損する。)
画像(衝撃画像注意)
双方合わせて5人が死亡、63人が負傷 モハ23852、モハ24852は東急車輛で代替新造された。書類上は修繕扱い。
西武鉄道
モハ101-214
平成4年
12月
新宿線
所沢〜東村山
東村山0号踏切
地図
 踏切で自動車との衝突事故に遭遇。その際に火災が発生しモハ101-214が廃車された。不明 同時期に老朽廃車予定だったモハ101-26が2代目モハ101-214に改番して復旧。平成15年まで使用される。
西武鉄道
クハ2017
モハ2117
モハ2118
モハ2217
モハ2224
クハ2024
クモハ2415
クハ2416
昭和61年
3月23日(
12時10分頃
新宿線
田無駅構内
地図
 西武新宿線田無駅列車追突事故の被災車。2415F+2017Fの8両編成による西部新宿行き急行列車(乗客約750人)が、田無駅で停車中の2407F+2023Fの先行の準急列車(乗客約640人)に時速約25キロで追突した。3連休最終日の日曜日だったため乗客が多く、多数の負傷者が発生した。事故当時、田無市(現:西東京市)は大雪だった。
 原因は急行列車のの車輪と制輪子の間に雪が挟まり、空気制動が制御力不足に陥ったこと。当時2000系は新宿線専用だったため圧着ブレーキ(耐雪ブレーキ)は装備されていなかった。急行列車は前の停車駅である新所沢駅で約20メートル過走、田無駅手前約230メートル手前の構内第1信号の警戒信号で常用ブレーキを使用したが減速できず、非常ブレーキも使用してが間に合わず準急列車に衝突した。準急列車は積雪でパンタグラフが下がったため点検中だった。
(急行列車)○2408-○2407+○2018-○2218-×2217-×2118-×2117-×2017 → ×2416-×2415+×2024-×2224-○2223-○2124-○2123-○2023(準急列車) ×の車両が廃車。
画像
重傷者3人を含む乗員乗客204人が負傷。 この事故をきっかけに西武鉄道は全車両に圧着ブレーキを装備した。
 急行列車の前4両と準急列車の後ろ4両が廃車。特にクモハ2415は昭和58年製で実質2年半の稼働。
 2連2本は修理復旧し、編成から外れた残りの6両で新たな編成を組成した。この際モハ2218は2代目モハ2224へ、クハ2018は2代目クハ2024へ改番。事故代替に昭和62年に2代目2031F、2代目2033F、昭和63年に2417F、2419Fが新製された。
京成電鉄
3329
3330
平成15年
1月23日(木)
19時31分頃
京成本線
大久保〜実籾
大久保5号踏切
地図
 京成上野発芝山千代田行きの6両編成の普通列車1823レとして乗客約600人を乗せて運用中、踏切でワゴン車と衝突し、床下にワゴン車を巻き込んだ1両目の3329が脱線した。
 踏切は第1種踏切で正常に動作していたが、ワゴン車はスピードを落とさず踏切に進入した。
画像
乗客22人と運転士が軽傷。
ワゴン車の2人は死亡。
 損傷の激しい1両目の3329と、ユニット相手の3330が廃車された。
京成電鉄
AE29
昭和53年
5月5日(金
3時30分頃
京成津田沼検車区宗吾支区(現:宗吾車両基地)
地図
 スカイライナー放火事件の被災車。車両基地から火の手が上がっているのを帰宅途中の通行人が発見し、110番通報した。直ちに消火活動を行ったが火の勢いが強く、スカイライナー用の車両1編成6両のうち4両が焼損し、全焼したAE29が廃車された。
 原因は成田空港反対派の新左翼中核派が放火したこと。AE29の車内から乾電池やゼンマイなど、中核派による時限発火装置が発見された。夜の車庫は無防備の状態だった。
不明 AE29は第7編成用に東急車輛で製作中だった車両を転用して同車番で復旧。第3編成は日本車両で制作された編成だったため、2代目AE29には東急車輛と日本車両の両方の銘板が取り付けられた。
 空港開港の度重なる延期、放火事件による車両の損害、同年5月21日にスカイライナーの運転を開始したが車両不足による減便で京成電鉄に十数億円の損害が発生した。
京王帝都電鉄(現:京王電鉄)
クハ3722
平成3年
1月3日(木)
0時40分頃
井の頭線
富士見ヶ丘〜久我山
地図
 渋谷発吉祥寺行きの5両編成の普通列車として乗客約50人を乗せて運用中、踏切の遮断機を突破してきた乗用車と衝突した。乗用車を巻き込んだ先頭車のクハ3722は踏切から約50メートル先の久我山駅ホームに接触して脱線した。復旧は翌朝6時過ぎまで掛かった。
 原因は乗用車の飲酒運転と言われている。自動車には飲食店経営者の30代男性とホステスの20代女性が乗車していた。乗用車のブレーキ痕は無かった。
クハ3722は修理不能となり代替新造された。
電車の運転士と乗客6人が負傷。
自動車の2人が死亡。
 クハ3722は昭和58年に東急車輛で新製、事故で経年8年で廃車。2代目は同一番号の新車として導入された。この代替新造を含むと3000系は1962年〜1991年まで製造されたことになり、生産年数で日本最長となる。
 後の置き換えでクハ3722は平成21年に廃車、伊予鉄道に譲渡されクハ3503として現役。
京王帝都電鉄(現:京王電鉄)
クハ3758
デハ3108
デハ3058
平成元年
2月23日(木)
17時45分頃
井の頭線
浜山田〜西永福
浜山田2号踏切
地図
 吉祥寺発渋谷行きの上り急行として5両編成で運用中、8トンのダンプカーが踏切内で立ち往生しているところに衝突した。運転士が重傷。ダンプカーの運転手も負傷。この事故で前3両が車体を損傷して車体新造された。
京王帝都電鉄(現:京王電鉄)
クハ5871
昭和54年
10月3日(水)
京王線
飛田給〜武蔵野台
飛田給11号踏切
地図
 高尾山口発新宿行き5000系7両編成の上り急行列車が、踏切でトラックの荷台から落ちた約7トンのブルドーザーに衝突。トラックが下り線を支障した。そこへ新宿発京王八王子行きの5000系7両編成による下り特急列車0015レが衝突し、前2両が脱線転覆した。
 ブルドーザーは武蔵野台駅北口の舗装工事のために使用されていたもの。事故発生日は雨が酷く、作業を中断して同駅南口付近の資材置き場へ引き上げる途中だった。トラックに載せただけでロープなど掛けられておらず、荷台後方の荷枠も上げられていなかった。また踏切には障害物検知装置が無かった。
画像 画像
乗客乗員52人が負傷。
トラックの運転手は退かそうとしてブルドーザーに乗り込んだまま衝突され死亡。
 京王線の踏切安全対策が強化された。
 京王電鉄はトラック所有業者に約1億3200万円の損害賠償を請求した。
 クハ5871は下り特急列車の先頭車。昭和43年6月に新製された車両だったが、実働9年で廃車された。
京王電鉄
クハ8728
平成19年
8月28日(木)
23時52分頃
高尾線
高雄〜高尾山口
地図
 高尾山口発高幡不動行きの普通列車7122レとして8両編成で運用中、トンネル出口付近に土砂が流入しているのを発見したため非常ブレーキ手配したが間に合わずに乗り上げ、1両目のクハ8728が脱線した。クハ8728は前面と左側面を損傷した。列車には乗務員2名のみが乗車しており、死傷者はなかった。
 原因はゲリラ豪雨による法面崩壊。事故当時高雄〜高尾山口では気象庁観測で1時間に約70ミリの「非常に激しい雨」が降っていたが、京王社内には降雨による運転規制の具体的な基準がなかった。そのため気象庁の情報を参照せず、自社観測の降水量で危険度を判断、斜面への警戒態勢が無いまま運転を行っていた。
画像
なし。京王では大雨の際には巡回を行うなどの対策が行われれうようになった。
 クハ8728は廃車され、平成20年3月に解体された。代替として8714Fの中間先頭車だったクハ8814抜擢され、2代目クハ8728に車番変更された。
 8714Fにはサハ8564が新造されて組み込まれた。
小田急電鉄
クハ2871
サハ2771
平成3年
10月11日(金)
21時12分頃
多摩線
黒川〜小田急永山
(はるひ野駅は未開業)
地図
 新百合ケ丘発唐木田行き下り普通電車として乗客約200人を乗せて6両編成で運用中、土砂崩れに乗り上げて前3両が脱線、先頭車が大きく傾いた。現場は黒川駅から約2キロのトンネルを抜けた先で、幅約30メートル、高さ約5メートル。事故当時、多摩市内は台風21号による激しい雨が降っていた。運転士は約100メートル手前で土砂崩れを発見し非常ブレーキを手配したが間に合わなかった。
 大量の土砂に埋もれ、足場も悪く両側が崖になっているためクレーンで持ち上げることが出来ず、早期復旧のために前2両が現地で3つに切断された。
画像
不明書類上は平成4年2月28日付で廃車。NHE車初の廃車。
東京急行電鉄
サハ5304
平成16年
10月3日(
東武日光線
幸手駅付近
 5104F時代に乗用車を床下に巻き込む踏切事故に遭遇。海側の機器が大きく損傷した。
 その後サハ5304は一部機器を流用、車体を新製の上5108Fのサハ5408として復旧。
不明5104Fは長期休車し、その後代替に6ドア車を組み込んで復旧。
書類上はサハ5304からサハ5408へ改造。
東京急行電鉄
デハ5755
クハ5855
平成26年
2月15日(
0時30分頃
東急東横線
元住吉駅構内
 東急東横線元住吉駅追突事故の被災車。先行で元町・中華街行きの221レの横浜高速鉄道Y516Fが元住吉駅で過走して停車中、後続の元町・中華街行き8両編成の231レの東急5155Fが追突した。5155Fの前2両(5855, 5755)が脱線、5755の車端部が大きくめり込む。この時はちょうど平成26年豪雪のピークで、東京都心でも約30センチの降雪を記録していた。Y516Fには約80人、5155Fには約60人の乗客が居た。乗客19人が軽傷。5155Fの運転士は衝突前に避難して無事。
京浜急行電鉄
デハ1536
平成9年
4月7日(月)
17時47分頃
京急本線
田浦〜安針塚
地図
 平成9年の京浜急行電鉄脱線事故の被災車。神奈川新町行きの下り普通列車として乗客約60人を乗せて4両編成で運用中、トンネルの先で土砂崩れが起きているのを運転士が発見、約100メートル手前で非常ブレーキを手配したが間に合わずに乗り上げて前3両が脱線した。この時運転士が防護無線を発報したことで、数分後に現場を通過する下り快速特急は緊急停車し二次災害を防げた。
 土砂崩れは約300立方メートルで、斜面の崩落防止工事は未施工だった。また現場付近は3日連続で雨が降っており、降り始めからの総雨量は100ミリを超えていたため警戒態勢を取っていたものの、保安要員に寄る巡回のみだった。事故の約3分前に上り快速特急が通過した時には異常はなかった。
デハ1536は大きく線路から外れたものの重量のある制御電動車だったため転覆を免れたとされる。
乗客約5名と運転士が重傷、乗客12人が軽傷。デハ1536は同車番で車体を新造して復旧した。
京浜急行電鉄
デハ1701
デハ1702
サハ1919
サハ1920
デハ1703
デハ1704
デハ1705
デハ1706
平成24年
9月24日(月)
23時58分頃
京急本線
追浜〜京急田浦
船越第1トンネル付近
地図
 京成高砂発三浦海岸行きの特急列車2268Hとして乗員2人乗客約700人を乗せて8両編成で運用、時速約72kmで走行中に約30〜40メートル先の線路内に土砂が堆積しているのを発見。非常ブレーキを手配したが、間に合わず乗り上げて前3両が船越第1トンネル内で脱線した。車内は座席が全て埋まり立席する乗客も見られるくらいの混雑。
 原因は大雨に寄る地盤の緩みで線路に幅11メートルに渡って土砂が流入していたため。この日横須賀市では1時間あたり88ミリもの雨量が観測されていた。土砂の中に防護策のコンクリート製土台が紛れており、これを巻き込んだため列車は1メートルほど跳ね上がっていた。現場は京急田浦駅から北へ約400メートルのトンネルの手前。
画像 画像 画像
乗客乗員の内9人が重傷、44人が軽傷。 京急は数億円掛けて現場付近の斜面を整備し、落石検知装置や防護策などを設置した。また大雨の際の運転規制を見直した。
 デハ1701〜サハ1920の4両が総合車両製作所に入場後、修理されず解体された。デハ1703〜デハ1705の3両は久里浜工場で解体。デハ1706も廃車。代替に新1000形1161F8両を新製した。
営団地下鉄(現:東京メトロ)
4576
昭和41年
12月16日(金)
未明
東武伊勢崎線
西新井駅構内
地図
 竹ノ塚行きの下り電車として6両編成で運用中、西新井駅構内のカーブで脱線した大師線の東武5300系2両編成の電車が3両目に衝突、営団3000系3両も脱線大破した。
画像(衝撃画像注意) 画像(衝撃画像注意)
双方併せて乗客7人が死亡、20人が重軽傷。 4576は昭和41年8月に新製されたばかりの新車だった。昭和42年9月に同車番で代替新造。
営団地下鉄(現:東京メトロ)
5818
5252
昭和53年
2月28日(火)
21時34分頃
東西線
葛西〜南砂町
荒川鉄橋上
地図
 営団地下鉄東西線列車横転事故の被災車。中野行き快速電車として運用、鉄橋上を時速約90kmで走行中、突風にあおられ後ろ3両が脱線、その内後ろ2両が横転した。
原因は車両がスキンステンレス製で1両約26トンと軽量だったことと、強い突風との相互的な作用と言われている。列車に竜巻が直撃するのは50〜100年に1度程度の確率で不可抗力だと判断された。
 列車は鉄橋上で横転し、鉄桁も破損したため復旧が遅れた。
 鉄橋上で横転した車両は東映の特撮ドラマ「スパイダーマン」の第2話(昭和53年5月24日放送)で登場した。
画像
23人が負傷。同年3月29日付けで廃車。同年12月21日に同車番で代替新造。
営団地下鉄(現:東京メトロ)
03-802
平成12年
3月8日(水)
9時1分頃
日比谷線
恵比寿〜中目黒
地図
 営団地下鉄脱線衝突事故の被災車。北千住発菊名行きの普通列車として運用、時速約40キロで走行中、最後尾の車両が複合的な要因で脱線を起こし、時速約45キロで走行していた対向列車の5両目、6両目(東武鉄道モハ24852、モハ23852)の側面に衝突し大破した。03系側はラッシュ後の郊外に向かう列車で乗客約100人・乗車率10%と混雑しておらず、脱線したのも最後尾の車両で死傷者は少なかったが、乗客950人・乗車率95%の東武側の車両は編成中ほどの車両がアルミ合金製の車両に衝突され、多数の乗客が死傷した。(アルミ車体は衝突されると鋭くザクザクに破損する。)
 原因は車輪に掛かる重量の不均衡が30%以上にも及ぶ異常な状態を放置していたことと、事故現場が半径約160メートルの急カーブにも関わらずガードレールが無かったこと、朝ラッシュ後のレール塗油量が多い時間だったことなどがあげられる。平成4年6月16日8時55分頃には中目黒駅構内の引込線で車庫からホームに入ろうとした回送列車が、回送となって引込線に入ろうとした列車と衝突する事故(引込線に入ろうとした列車の運転士1人が軽傷)が発生していた。
 営団地下鉄では平成4年に半蔵門線鷲沼車庫で軸重の不均衡による2回の脱線事故を起こしていたが軸重計の設置は却下されており、ガードレールの設置も半径140メートル以下のカーブのみと極めて低い基準だった。
 事故当時はアルミ合金製軽量車体には列車の側面衝突に対する安全性が確保されていない、とマスコミは取り上げたが、そもそも列車同士が側面衝突する設計思考は無く、重量のある列車の側面衝突に対策は不可能と考えられる。
画像(衝撃画像注意) 画像(衝撃画像注意)
双方合わせて5人が死亡、65人が負傷 国土交通省より全国の鉄道事業者に軸重の不均衡を10%以下に抑えることと、半径200メートル以下のカーブにガードレールを設置する通告がなされた。更に国土交通省内に鉄道事故調査委員会(現:運輸安全委員会)が設置される契機となった。
 03-802は大破したため、平成13年9月に日本車両製の同車番へ代替新造。
相模鉄道
モハ3051
サハ3651
クハ3552
モハ3052
クハ3551
クハ3751
モハ3151
サハ3652
モハ3152
クハ3553
平成10年
12月16日(水)
相鉄本線
相模大塚駅構内
地図
 相模鉄道相模大塚駅脱線事故の被災車。相模大塚駅構内の留置線でポイントを3箇所破壊し10時間以上運転見合わせとなる脱線事故を起こした。一部車両の足回りの損傷が大きく、1系列1編成のみの存在だったため修理せずに廃車。
画像 画像
不明平成11年に廃車。
代替に8713Fを新造。
相模鉄道
クハ7502
モハ7106
モハ7105
平成17年
4月27日(水)
午前9時頃
相鉄本線
天王町〜星川
天王町1号踏切
地図
 横浜発二俣川行きの普通電車として8両編成で運用、天王町駅を発車した直後に、踏切で5両目(クハ7502)の側面に軽自動車が衝突した。乗員乗客約130人にケガはなかった。
軽自動車は踏切手前で停車していたのに突然発進し、遮断機を破って列車に衝突した。
 この事故でクハ7502の床下機器が大きく損傷し、5〜7両目の3両が修理されずに廃車。最後尾はクハ7707と1〜4両目は修理復旧された。
←二俣川 ○クハ7509-○モハ7108-○モハ7107-○サハ7602-×クハ7502-×モハ7106-×モハ7105-○クハ7707 横浜 ×の車両が廃車された。
列車内では無し。
軽自動車の運転手が重傷。
 当時事故現場は高架化工事中で、平成26年2月現在も続いている。
 2日前の同月25日にJR福知山線の事故、翌26日にJR常磐線でスーパーひたちが踏切で脱線した事故と併せて「頻発する鉄道事故」と過剰に報道された。
 事故により休車中だった5053Fが運用復帰した。クハ7509寄り4両はクハ7710以下4両と編成を組んで同年5月に運用復帰、クハ7707は1年半ほど休車になった後、平成18年秋に運用復帰。
相模鉄道
クハ7711
モハ7109
モハ7110
サハ7606
クハ7705
モハ7111
モハ7112
クハ7510
平成19年
12月14日(水)
いずみ野線
緑園都市〜南万騎が原
地図
 過電流によりトンネル内で立ち往生・自走不能となり、モハ7109の床下機器が焼損した。
 該当編成は1時間ほど前にも同様の故障を起こし、先の二俣川駅で運転打ち切りとなる予定だった。
不明 厚木操車場に疎開回送されたが、7000系の置換えが進んでいた時期だったため修理されずに平成20年1月にかしわ台車両センターに廃車回送された。
相模鉄道
クハ8707
モハ8119
モハ8219
サハ8613
モハ8120
モハ8220
サハ8614
モハ8121
モハ8221
クハ8507
平成16年
3月
いずみ野線
湘南台駅構内
 レール削定車との衝突事故に遭遇。台枠が損傷したクハ8707とモハ8119は平成18年3月31日付けで廃車、6月に解体された。残り8両も同年12月13日付けで廃車、その後解体された。
画像
不明 8707Fは平成5年2月1日に日立製作所で新製。8両編成に改造して再利用するのと10000系を追加投入して置き換えと比較した結果、検査費用の点で10000系への置換えが将来的にコスト削減可能だと判断され残る8両も廃車、約11年の活躍だった。
 代替に10708Fを新製。
都電
(東京都交通局)
7020
平成18年
6月13日(火)
9時35分頃
都電荒川線
梶原〜栄町
地図
 都電荒川線追突事故の被災車。重要部検査を終えて試運転だった7020の常用ブレーキの動作テストのために駅間で一旦停止した。そこに後続の三ノ輪橋発早稲田行き1両編成の下り電車の7505が追突した。
 原因は7505の運転士の前方不注意。7505は梶原停留場で7020に追いつき、試運転列車であることを確認していた。しかし必要な車間距離を開けずに制限速度を超えた追従運転を行っていたため、7020のブレーキテストの際に7505のブレーキが間に合わず追突した。荒川線にATSは整備されていたなかった。7505には乗客約40人と運転士が、7020には係員7人が乗車していた。
 7505は緩衝器や運転台窓ガラスなどを破損し修理復旧されたが、追突された7020は台枠が損傷し、前面部も大きく凹んだため修理を断念し廃車された。
画像 画像 2枚とも右側の白色と桃色の車両が7020。
7505の運転士が重傷、乗客26人が軽傷、7020の係員3人が軽傷 荒川線の全車両にブレーキランプが取り付けられた。
 7020は破損部にブルーシートを掛けられパンタグラフや冷房装置が撤去された状態で荒川車庫内で留置された後、平成19年3月31日付で廃車。
名古屋鉄道
モ1134
モ1184
平成14年
9月26日(木)
8時32分頃
名古屋本線
奥田〜大里
大里8号踏切
地図
 名鉄特急脱線事故の被災車。新岐阜(現:名鉄岐阜)発豊橋行きの特急列車86レとして1030系+1800系(1134F+1804F)、特別車2両+一般車6両の8両編成で乗客約900名を乗せて運用、時速約120kmで走行中、踏切付近の軌道内を新名古屋方面に走行していた乗用車に追突する形で衝突。前2両の特別車が架線柱を倒しながら線路左側のコンクリート製用水路沿いに脱線し、先頭車が用水路に乗り上げた。
 乗用車は無免許のスリランカ人が運転する盗難車で、遮断機が下がっている踏切に進入して脱輪した後、そのまま線路上を追突されるまで約15メートル走行していた。踏切は警報機・遮断機設置の第1種踏切で遮断機に車の塗料が残っていた。
画像
列車の運転士と車掌、乗客21名が負傷。うち乗客2人が重傷。
乗用車の運転手は死亡。
 この事故によって線路際の携帯電話回線が切断され、ツーカーセルラー東京(後のTu-Ka、現:サービス廃止)の携帯電話網に影響が出た。
 1134Fは7500系から機器を流用して平成5年に車体を新製した車両。脱線した1134Fのうち、特別車2両が廃車された。残りの一般車4両は1384を先頭車化、スカーレット1色に塗装した上で普通列車用として復旧した。
 名鉄によると損害は約3億4000万円だったが、損害賠償の請求先が不明のため損害賠償請求できなかったらしい。
名古屋鉄道
モ1853
モ1953
平成27年
6月3日
名古屋本線
岐南駅
車両故障が原因でオーバーランを起こす。浸水によるスパークで停電したため(?)
原因が特定されるまで1850系全編成が運用を離脱、その後1851Fと1852Fは運用に復帰したが、1853Fは国土交通省中部運輸局より保全命令が発出されていたため運用に復帰しなかった。
-翌年1月上旬に廃車回送。
名古屋鉄道
モ5505
モ5556
モ5555
モ5506
平成12年
9月11日(月)
名古屋本線
須ヶ口駅付近
新川検車区
東海豪雨の被災車。記録的な大豪雨により水没した。- 8800系などは修理復旧されたが、製造の旧い5505Fは修理せず平成12年12月付で廃車となった。
名古屋鉄道
ク6035
昭和62年
7月8日(水)
10時30分頃
犬山線
平田橋(現:上小田井、平田橋駅時代は新川の北側に位置していた。)〜中小田井
中小田井9号踏切
地図
 犬山発常滑行きの4両編成の急行列車として乗客約480人を乗せて運用中、踏切で立ち往生していた鋼材を満載したトレーラーと衝突。全車両が脱線し、先頭車の6035の先頭部がくの字に凹む形で大破、台枠も損傷した。
 原因は踏切が狭かったこと。新川の堤防上にある現場踏切は大型車は離合できない程度の幅で、西側から走ってきたトレーラーと東側から来た大型トラックが鉢合わせしていた。またトレーラーは道路交通法の上限25トンを大きく超える約53トンもの鋼材を積載していた。
 一方で列車の運転手の前方不注意も問題になり、踏切事故としては異例の列車運転士が業務上過失傷害などの疑いで書類送検となった。運転士は約200メートル手前で非常制動を掛けて、間に合わずに衝突していた。しかし線路側は事故現場まで約800メートルに渡り直線であり、トレーラーの運転手が踏切の非常ボタンを押し200メートル手前で危険を知らせる赤色の点滅信号が動作しており、動作時点で列車は約600メートル手前だった。この時点で列車は時速約98kmだったが、非常制動すれば約360mで停止できた。
 事故復旧作業中、トレーラーを撤去しようとしたクレーンが転落した。その時の動画は現在でも度々テレビ放映される。
画像(衝撃画像注意)
乗員乗客6人が重傷、180人が軽傷。 トレーラー運転手は過失往来妨害、業務上過失傷害、道路交通法違反(過積載)の疑いで逮捕された。その後禁固1年10ヶ月、執行猶予3年の裁判判決を言い渡された。
 6035は昭和57年に日本車両にて新製で経年5年だった。翌昭和63年春に車体新製で復帰した。
西日本大手私鉄・準大手・公営
近畿日本鉄道
モ12007
ク12107
昭和44年
8月5日(火)
22時27分頃
大阪線
川合高岡〜伊勢中川
地図
 上本町発宇治山田行きの特急列車として4両編成で乗客約70人を乗せて運用中、車輪のフランジの異常により分岐機に引っかかり前3両が脱線、4m下の畑に転落した。特に先頭車は「く」の字に折れ曲がった。
 事故当時、現場付近の信号は注意信号表示だったため、信号に従って減速して走行していたが、付近は畑ばかりの暗闇だったため異常に気付けなかった。事故後の救助活動でも照明不足のため活動が難航した。
乗客ら61人が負傷 12000系は昭和42年登場の当時最新鋭の車両で、新造した日が浅かったが2両が廃車。
 この頃河内国分駅での追突事故、京阪本線蒲生信号所での衝突事故、南海本線での川への転落事故、同線箱作駅での衝突事故、南海高野線での正面衝突事故、阪急甲陽線の冒進事故、山陽電鉄の正面衝突事故など在阪私鉄の大事故が続いており、過剰に報道された。
近畿日本鉄道
モ12001
ク12101
モ12202
ク12303
モ12226
昭和46年
10月25日(月)
15時58分頃
大阪線(旧線)
東青山〜榊原温泉口
総谷トンネル
地図
 近鉄大阪線列車衝突事故、青山トンネル事故の被災車。12200系・12000系の4両編成(12001F+12202F)による上本町発近鉄名古屋行きの特急列車114列車が暴走し垣内東信号所の安全側線を120km/h以上で突破し脱線転覆、前2両が横転した状態で単線トンネル内に突入し、直後に対向してきた12200系・10100系・18200系の7両編成(12226F+10118F+18205F)による賢島発前5両近鉄難波(現:大阪難波)、後ろ2両近鉄京都行きの特急列車1400N・1400Kと正面衝突した。
 原因は114列車が青山トンネルの約200メートル東側でATS故障のため誤停止した時の不手際による列車暴走。運転士がATS操作を行ってもブレーキが解除出来なかったため、33パーミルの勾配上ではあったが手歯止めを設置した上で各車両のブレーキエア供給コックをカットし、ブレーキシリンダーのエアを抜くという、規定通りの手順を行った。しかし東青山駅から駆けつけた助役が、運転士との何らかのやりとりの後に手歯止めを外してしまい、それを知らない運転士は運転室に戻ってブレーキを解除した。その結果、ブレーキエア供給コックをカットし、ブレーキが効かないまま列車は33パーミルの勾配上を暴走した。114列車では脱線するまでの間に乗客らが後部車両へ避難誘導されていた。
×モ12001-×ク12101+×モ12202-×ク12302→ ←○モ12226-○ク12326+○モ10118-○サ10218-○モ10318+○ク18305-○モ18205 という形で衝突。×の車両が廃車された。
画像(衝撃画像注意) 画像(衝撃画像注意)
乗客22人、1400Nの運転士、車掌、東青山駅助役が死亡、227人が重軽傷。
1400Nの車掌は衝突時運転室に居て、衝突の直前に衝撃に備えるよう車内放送を行い、マイクを握ったまま絶命した。
 事故の際、1400Nの後ろ2両(京都行き1400K)には学会に向かう途中だった医師が多数乗車していたため応急治療が行われた。
 大阪線の複線新線への付け替え工事は事故当時行われていたが、この事故を受けて大きく前倒しして昭和50年11月23日に新線へ移設・全線複線化が完成した。
 12001F、12202Fは廃車となり、モ12226は修理名目の代替新造となった。12000系は昭和42年、12200系は昭和45年登場の当時最新鋭の車両。
南海電気鉄道
モハ7102
サハ7852
不明南海本線
忠岡駅付近
踏切で自動車と衝突して脱線、忠岡駅のホームに乗り上げた。不明 7100系1次車は更新せずに廃車する方針であったため、修理せずに廃車となった。
南海電気鉄道
モハ7161
サハ7889
平成12年
7月8日(
南海本線
住之江検車区構内
地図
 高架上の住ノ江駅から住之江検車区への入換中、停止位置を通りすぎて車止めとその先の高架壁に衝突し、先頭車のモハ7161の先頭部が高架橋から宙に浮く形になった。モハ7161の台枠が歪み、ユニットを組んでいたサハ7889とともに廃車。
 この時運転士はATSの電源を切っていたため、停止位置を超えても停止しなかった。
不明4両編成のうち2両が廃車になった形。残された2両は別の2連(7123F)と連結して4両編成として扱われている。
南海電気鉄道
キハ5505
不明不明踏切事故で損傷したのをきっかけに廃車。不明 昭和48年廃車。廃車後関東鉄道に譲渡され4扉化など改造の上でキハ755となり、南海に残ったキハ5501形より長生きした。
京阪電気鉄道
5554
昭和55年
2月20日(水)

20時59分頃
京阪本線
枚方市〜御殿山
地図
 京阪電気鉄道置石脱線事故の被災車。淀屋橋発三条行き7両編成の急行列車として乗客約400人を乗せて運用中、線路上の障害物に乗り上げて前3両が脱線し、先頭車両だった5554が民家に突入、2両目が横転した。
 線路上の障害物は、枚方市内の中学校2年生の5人組グループがいたずらで置いた側溝用のU字型コンクリート。
 京阪電鉄は5人の保護者に損害賠償請求を起こし、4人の保護者から840万円の賠償金を受け取ることで和解した。1人の保護者は「グループに入っていたが、実行行為に関与していなかった。他の4人と同額を払う必要はない。」と主張し、大阪高裁も京阪電鉄の請求を退けたが、最高裁では損害賠償が発生するという判決を下し、同じく840万円を支払うことで和解した。また5人のうち両親が揃っていて非行歴が無かった4人が電汽車往来危険転覆罪の共同正犯として家庭裁判所へ送致、1人が14歳以下だったため児童相談所へ通告処分となった。
画像 画像(衝撃画像注意)
104名が重軽傷。 京阪が受けた損害は約2億3500万円。車両保険で5100万円、車両の減価償却が約7500万円で、残りの約1億900万円は5等分して各保護者に約2180万円請求した。
 昭和55年度には国鉄・私鉄各社合わせて7657件もの列車往来妨害が起きており、ほとんどが子どもの置き石だった。対策として先頭車両への排障器の設置と線路脇のフェンス類の設置を、京阪電鉄以外の鉄道事業者も進めるようになった。
 5554は昭和46年11月川崎重工で新製。初代は約9年の活躍で昭和55年12月29日付けで廃車、同日に同車番で代替車が新造された。
阪急電鉄
2050
昭和59年
5月5日(
11時30分頃
神戸本線
六甲駅構内
地図
 阪急六甲駅衝突事故の被災車。阪急2000系8両編成の梅田行き特急として運用、六甲駅の本線を通過した直後に副本線(待避線)から本線上に出てきた山陽電鉄3050系4両編成の回送列車に衝突。特急列車の前3両と回送列車の全車両が脱線した。ゴールデンウィーク期間中だったため車内は満員で、阪急の運転士が非常制動をかけたものの衝突時に時速50km程度で多くの負傷者が出た。阪急の運転士が負傷していたにも関わらず手旗を持って接近していた対向の下り普通列車に異常を知らせたため、二次災害を防ぐことが出来た。事故で大破した特急電車の先頭車2050が廃車された。
 事故原因は回送列車が早発していたこと。昭和43年の相互乗り入れ開始以来、山陽電鉄の六甲行き列車は回送列車としてすぐに御影駅西側の待避線で折り返すというダイヤだった。ところが、昭和59年3月25日のダイヤ改正で、休日に限り六甲駅で特急列車を退避してから回送列車が発車するダイヤに変更されていた。事故を起こした運転士は新しい休日ダイヤで初めて運転するにも関わらず、運行管理者から渡され運転席に設置したダイヤ表をを全く見ずに運転しており、特急列車の待避について全く知らずに運転していた。運転士は(おそらく早発するために)ATSも解除していた。更に当時山陽電鉄内では定刻より数分早発する行為が横行しており、大阪陸運局より安全教育の不徹底が指摘され5月31日に業務改善命令が出された。
画像(衝撃画像注意)
乗員乗客のうち3人が重傷、69人が軽傷。 回送列車を運転していた山陽電鉄の運転士は業務上過失傷害の現行犯で逮捕され、同日付遡及で懲戒解雇・動力車操縦者運転免許も剥奪された。その後昭和60年7月に禁固2年6ヶ月、執行猶予4年の裁判判決を受けた。
 回送列車に同乗していた車掌は乗務歴26年のベテランで、事故時車内に乗客が残っていないか見回っていたが、赤信号にもかかわらず列車が動き出したため、非常ブレーキを掛けるため急いで最後尾の乗務員室に向かったが間に合わなかった。直接の責任はなかったが事故を防げなかったという自責の念に駆られ、11日後で翌日の3回目の事情聴取を控えた5月16日夜に山陽電鉄線内の列車に飛び込み自殺した。
 2050は昭和59年12月に廃車。代替に2154を冷房改造の上2代目2050へ改番した。
 脱線した山陽車は全て修理復旧し、平成25年現在も現役。
阪急電鉄
2721
平成7年
1月17日(火)
5時46分頃
今津線(今津北線)
宝塚〜宝塚南口
地図
 阪神淡路大震災の被災車。西宮北口行き?の6両編成の普通列車として走行中に震災が発生して脱線。床下機器が大きく損傷し、復旧不可能である2721が廃車された。阪急2200系は新技術の試験車で8連1本のみの存在だったため、震災を機会に試験車としての役割を終え、残りの車両も付随車化され6000系に編入された。
宝塚 2251-2721-2720-2250+6125-6025 西宮北口→
画像
- 阪神淡路大震災により阪急電鉄は約860億円の損害を受けた。宝塚線・京都線がほぼ無傷で収入がある程度確保できたため自力で復興した。
 2200系の中間電動車だった2721は廃車されたが、車体や再利用可能機器は6000系中間付随車の6772(営業運転開始前は2772だったらしい)として再利用されている。
阪急電鉄
2087
3109
平成7年
1月17日(火)
5時46分頃
伊丹線
伊丹駅構内
地図
阪神淡路大震災の被災車。伊丹駅で停車中に地震が発生し、伊丹駅倒壊に巻き込まれて大破した。
画像(衝撃画像注意):手前編成がC#3159×4R、奥側編成は5200系のC#5201×4R。手前編成は写真左側から3159-3160-2087-3109
画像(衝撃画像注意)
- 2087の代替には当時余剰で休車となっていた2079を運用復帰させた。
 3109の代替には、今津線で震災により脱線して正雀工場に入場していた3000形3022を充てることになり、主電動機を交換の上で3109に改番して復旧した。
阪神電気鉄道br>2201
2001
2101
2102
2002
2202
2013
2014
2114
2213
2214
2115
3109
3009
3209
3110
3010
3210
8001
8014
8017
8024
8036
8101
8113
8114
8124
8202
8217
8222
8223
8224
8236
5151
5152
5265
5266
5267
5268
5337
5338
平成7年
1月17日(火)
5時46分頃
阪神本線
石屋川車庫、御影駅の留置線、新在家〜大石、三宮駅構内、三宮〜元町
地図(石屋川車庫)
 阪神淡路大震災の被災車。震災で高架上の石屋川車庫が崩壊。多数の車両が巻き込まれた。赤胴車(2000系・3000系・8000系)33両と青胴車(5001系列)8両の計41両が廃車となった。特に8236と8036は平成3年製で、実働3年程度だった。

被災の詳細:
2201・2001・2101・2102・2002・2202(2201F)は三宮発高速神戸行き6両編成の急行として運行中、三宮駅 - 元町駅間走行中に被災。地下線での被災で側壁や間柱に衝突して屋根片部など大きく損傷したため編成ごと廃車。
2113・2013・2014・2114・2214(2213F)は石屋川車庫7番線で被災。2213のみ残して廃車。
2115(2215F)は石屋川車庫9番線で被災。1両のみ廃車となり、2113Fで唯一復旧した2113と編成を組んだ。
3109・3009・3209・3110・3010・3210(3109F+3110F)は石屋川車庫9番線で被災、編成ごと廃車。
8001・8101・8202(8201F)は石屋川車庫10番線で被災、8113・8114・8214(8213F)は御影留置線21A線で被災、8017・8217(8217F)は石屋川車庫1番線検修ピットで被災、8222(8221F)は石屋川車庫8番線で被災、8223・8024・8124・8224(8223F)は石屋川車庫13番船で被災、8036・8236(8235F)は御影留置線21A線で被災、搬出困難のため現地解体。復旧に関しては下記画像を参照。

5151・5152(5269F+5151F)は三宮駅3番線で留置中に被災。
5265・5266・5267・5268(5265F+5267F)は新在家〜大石を4両編成の普通列車として走行中に被災。
5337・5338(5335F)は石屋川車庫3番線検修ピット内で被災した。

廃車日は5265・5266・5267・5268が1月25日、8223が2月9日、2213・2013・2014・2115・3109・3009・3209・3110・3010・3210・8202・8113・8014・8217・8017・8124・8024・5151・5152が3月31日、2201・2001・2101・2102・2002・2202・2114・2214・8001・8101・8114・8222・8224が7月6日、8036・8236は不明。

画像:左から8217F(ピット内)、5335F(ピット内)、3109F+3110F、2213F、8221F、2115F、8201F、2211F、3103F+3104F、8223F
画像(衝撃画像注意):左が8235Fの8235、右の横転しているのが8213Fの8214、手前が8231F
画像
- 阪神淡路大震災で阪神電鉄は当時の年間営業益に匹敵する約790億円の損害を受けた。また本線の甲子園駅以西が被災したため、1日通常7000万円ほどの運賃収入だったのが1日当たり約5000万円の運賃収入減となった。自力では復興できず、国や自治体から約350億円の復興費用を受け取って復旧。これが5500系・9000系の新造費用を国が負担したと言われる理由。
 当時阪神電鉄の新車は武庫川車両で新造されていたが、震災による大量の廃車を年産10両程度の武庫川車両では一挙に新造できないため、8000系3両と5500系8両を武庫川車両、9000系30両を川崎重工で新製した。9000系は1日でも早く運用するために、JR東日本209系の量産によって生産に余裕のあったステンレス車体のラインで制作されたため、ステンレス車体となった。
大阪市交通局
101-13
100-13
102-13
105-13
平成5年
10月5日(火)
17時30分頃
ニュートラム 南港ポートタウン線
住之江公園駅構内
地図
 ニュートラム暴走衝突事故の被災車。中ふ頭発住之江公園行きの4両編成の列車として無人運転で運行中、終点の住之江公園駅で本来の停止位置から約50m暴走し、ATCによる非常ブレーキが作動したが間に合わず時速約30kmで、車止め緩衝器(鋼鉄製支柱1.7mに硬質ゴム厚さ55pを取付けたもの)に衝突した。
 原因は3両目の102-13にあるブレーキ指令信号を伝える中継継電器内の継電器(リレー)にささくれた凸凹が発生して一時的に通電不良を起こし、ATOからATCへのブレーキ指令信号が変換できず、常用ブレーキが作動しなかったと推測されている。継電器のささくれの原因は不明で、警察の再現実験では再現ができなかった。
中ふ頭 101-13+100-13+102-13+105-105-13 住之江公園→
画像
乗客217人が負傷。 事故から1ヶ月半ほどはニュートラムを全線運行中止しバス代行、ブレーキ指令回路の2重化や地上速照式非常停止装置の設置、信号配置の修正などを行った上で同年11月19日に有人運転で運行を再開した。再び無人運転に切り替えられたのは事故から6年半後の平成12年2月19日。
 100A系への本格的な置換えに先駆けて、第13編成は修理すること無く平成6年9月29日付で100系として初めて廃車された。
福岡市交通局
1522
昭和60年
8月7日(水)
7時45分頃
国鉄(現:JR九州)筑肥線
姪浜〜今宿
(下山門駅は未開業)
生の松原踏切
地図
 筑前前原発博多行き上り普通電車として6両編成で運用中、踏切で大型トレーラーと衝突。前2両が脱線し、先頭の1522が折れ曲がり持ち上がるように大破した。通勤時間帯の事故で多数の負傷者が発生した。
 原因はトレーラーが車体の底を踏切にこすり立ち往生していたこと。トレーラーには道交法の上限である25トンを大きく超えた重さ約44.3トンの杭打ち機(パルクドライバー)が積載されており、荷重でトレーラーの底部が下がっていた。更に電車側からは急カーブの先の見通しが悪い踏切で、約100メートル手前でトレーラーを発見して非常ブレーキを手配したが間に合わなかった。踏切は警報機・遮断機設置の第1種踏切。
 1522は損傷が激しかったため現地解体された。画像(衝撃画像注意)
乗員乗客のうち6人が重傷、114人が軽傷。
トレーラー運転手も重傷。
トレーラー運転手は業務上過失傷害の容疑で逮捕され、昭和62年に禁固2年6月、執行猶予4年の裁判判決を受けた。
1522は翌年に同車番で代替新造。
東日本中小私鉄・第3セクター等
弘南鉄道
デハ7104
デハ7151
平成9年
8月25日(月)
13時40分頃
弘南線
館田駅構内
地図
 弘南鉄道列車正面衝突事故の被災車。黒石発弘前行き2両編成の上り普通列車(先頭が7104)が館田駅での列車交換をせずに出発し、弘前発黒石行き2両編成の下り普通列車(先頭は7151)と正面衝突した。現場は館田駅の西側約40メートルのポイント付近。
 原因は上り列車の運転士が考え事をしていて信号を見落として発車したため。当時弘南線にはATSが設置されていなかった。

画像:7104 画像:7151
32人が重軽傷。 平成11年に弘南線にATSが設置された。
 弘南鉄道7000系は元東急7000系。デハ7104が元デハ7169、デハ7151が元デハ7142。2両とも平成11年6月に廃車され、残された車両同士で7154-7101という編成が組まれた。
三陸鉄道
36-104
36-203
36-205
平成23年
3月11日(金)
14時46分頃
南リアス線
盛駅構内
地図
 東日本大震災の被災車。車両基地で津波で冠水した。
 その後車庫から盛駅構内まで約100メートル手押しして、同年10月5日から平成24年11月まで「ふれあい待合室」として車内でイベントなどが行われた。特に36-104はカラオケ装置搭載車であったためこれも活用された。
車内ではなし。 修理費用が多額になるため平成24年11月に解体された。代替としてクウェート政府の援助で36-700形が3両導入された。
三陸鉄道
36-108
36-204
平成6年
2月22日(火)
15時20分頃
南リアス線
小石浜(現:恋し浜)〜甫嶺
矢作川橋梁上
地図
 三陸鉄道突風転覆事故の被災車。盛発久慈行き2両編成の普通列車として運用中、橋梁上で強風に煽られて脱線転覆し、約9m下の用水路に転落した。当時大船渡地区では瞬間最大風速32.8メートルを記録していた。
 旅行好きの旅客が車内から沿線風景を撮影していると突然脱線転覆し、暗転する映像が有名。
5人が負傷。 同日にJR北海道根室本線で同様に強風による横転事故が発生している。
 事故による2日間の運休で約240万円の旅客収入を失い、負傷者への治療代で数百万、事故車両の解体や事故対策の投資で約3000万円などの支出を強いられ、三陸鉄道への転換後初の赤字決算となった。これ以後平成25年度時点では黒字転換を果たせず18年連続して赤字決算を計上している。
 36-108と36-204は同年3月23日付で廃車。代替に36-501を新製。
仙台臨海鉄道
SD55-101
SD55-102
平成23年
3月11日(金)
14時46分頃
臨海本線
仙台港駅構内
地図
 東日本大震災の被災車。SD55-101は脱線はしなかったが、押し流されてきた自動車や瓦礫などの衝突を受け台枠を損傷。SD55-102は津波に押し流されて脱線転覆。2両とも海水に冠水し機関も復旧されなかった。

画像:SD55-101 画像:SD55-102
- 廃車された2両の代替として、平成24年に京葉臨海鉄道から譲渡されていたKD55-105をSD55-105に改造して投入。秋田臨海鉄道のDE65-2の貸出も受ける。
 SD55-103も仙台港駅構内で脱線、津波による冠水、瓦礫による損傷を受けたが、約8ヶ月掛けて修理され11月25日の運行再開セレモニーで披露された。
福島交通
7107
7208
平成13年
4月8日(
21時35分頃
飯坂線
福島駅構内
地図
 福島駅駅ビル衝突事故の被災車。飯坂温泉発福島行き2両編成の上り列車のブレーキが効かず車止めを突破、約12メートル先の駅ビル(イーストビル)に衝突した。運転士と乗客4人中3人が軽症を負った。
 原因は電源装置の異常によるブレーキ装置の動作不良が疑われたが、原因不明。3系統4種類のブレーキ全てが使用できなかった。始発前の点検では異常は見られなかったが、2駅手前の美術館図書館前駅で一時車内照明が消える停電に見舞われた後ブレーキ装置が故障、非常ブレーキも作動しなかった。1駅手前の曽根田駅にも停車できず、終点の福島駅の駅ビルに衝突するまで停止しなかった。
運転士と乗客3人が軽傷。 福島交通7000系は元東急7000系で、7107が元デハ7116、7208が元デハ7147。
わたらせ渓谷鉄道
わ89-102
(ようがい号)
平成元年
5月14日(
21時頃
本宿〜水沼土砂崩れに乗り上げて脱線。1人負傷 わ89-102は富士重工業で新造されたボギー台車仕様のLE-CarU。新造半年程度だったが廃車。
関東鉄道
キハ302
キハ3010
平成4年
6月2日(火)
8時頃
常総線
取手駅構内
地図
 関東鉄道列車衝突事故の被災車。新守谷発取手行きの4両編成として運用、終点で櫛形ホームの取手駅に進入する際に列車がブレーキが効かず、駅ビル2階の壁に突っ込んだ。列車も駅ビルの店舗に突入し大破した。衝突の際に駅ビルの水道管を破損させたため、床上に約5センチ水が貯まった。運転士はブレーキが効かないため、「後ろに逃げろ」と放送したが、朝ラッシュで定員の約1.5倍にあたる約800人の乗客で混雑していた車内ではパニックを極めた。運転士は衝突前に飛び降りていて無事。
 原因はブレーキ故障で取手駅の1つ前の水海道駅に非常ブレーキで停車した後、ブレーキが緩まなかったためブレーキ締め切りコックを閉じたまま発車したこと。この誤った処置のため取手駅ではブレーキが効かなかった。
 事故車両は現地解体された。

画像(衝撃画像注意) 画像(解体中画像)
乗客1名が死亡、19人が重傷、237人が軽傷。運転士も負傷。 運転士と車掌が業務上過失致死傷と業務上過失往来危険の疑いで逮捕された。平成8年2月に運転士は禁固2年6ヶ月・執行猶予4年、車掌は禁固1年6ヶ月、執行猶予3年の裁判判決を受けた。
 関東鉄道は事故を受けて無線の整備や老朽化した部品の交換など約6億7000万円の設備投資を行った。更に8年後の平成12年をめどに常総線の取手〜水海道の電化を行う方針を建てたが、気象庁地磁気観測所への影響を抑えるための電化方式は費用が掛かり過ぎると断念した。
 キハ302とキハ3010は平成3年に国鉄清算事業団から買い取ったキハ30-43、キハ30-90(九州で活躍していた車両)。ブレーキ故障は老朽化が原因とされ、関東鉄道は新車導入に積極的になったが、現在でも元国鉄車が残存している。
秩父鉄道
デハ5004
デハ5104
クハ5204
平成23年
11月1日(火)
11時14分頃
秩父本線
樋口〜野上
樋口No.3踏切
地図
 三峰口発羽生行きのワンマン普通列車1528レとして3両編成で運用中、踏切上で停止している大型ダンプカーを発見したため非常ブレーキを手配したが、間に合わず衝突した。1両目のデハ5004が脱線し、前面や床下機器を破損した。列車には乗客34人と運転士が乗車していた。
 ダンプカーの運転手は降りていたため無事。ダンプカーの運転手は、ダンプカーがクラッチの調子が悪くアクセルを踏んでも進まなかったこと、踏切の非常ボタンを探したが見つける前に列車が接近したため手を振って合図したが間に合わなかったことを証言している。踏切に障害物検知装置は設置されていなかった。

画像(衝撃画像注意) 画像(衝撃画像注意)
乗客4人と運転士が軽傷。 ダンプカーの運転手は過失往来危険の疑いで現行犯逮捕された。
 デハ5004はステンレス車体であったことと、同時期に東急8090系(秩父7500系)の譲渡が行われていたため、デハ5004は廃車された。残ったデハ5104とクハ5204は運用を外れ部品取り車となっているらしい。
 秩父鉄道5000系は元都営地下鉄6000系で、秩父鉄道デハ5004は元都営地下鉄6261、デハ5104は元6266、クハ5204は元6268。
日立運輸東京モノレール(現:東京モノレール)
107
204
108
昭和48年不明詳細調査中。不明
東京モノレール
700形1両
昭和60年
7月29日(月)
7時10分頃
羽田空港線
浜松町駅構内
地図
 羽田(現:天空橋)発浜松町行きの6両編成の列車として運用、浜松町駅構内へ進入中に駅手前のポイントが突然切り替わり、後ろ2両が脱線した。モノレールとして初めての脱線事故。
 原因は制御装置が暑さで誤作動したためと考えられている。この事故で夏休みの多客期に夕方まで不通となり、当時は京急が羽田空港に乗り入れておらずモノレールが唯一の軌道交通だったため多大な影響を与え、チェックインに間に合わない旅客のために日本航空・全日本空輸・東亜国内航空(現:日本エアシステム)の計90便も最大15分遅れた。

画像
なし 700形は昭和57年から製造されていた最新鋭車だったが1両が廃車、バラで700形1両が製造された。
横浜高速鉄道
Y516
Y546
Y566
平成26年
2月15日(
0時30分頃
東急東横線
元住吉駅構内
 東急東横線元住吉駅追突事故の被災車。先行で元町・中華街行きの221レの横浜高速鉄道Y516Fが元住吉駅で過走して停車中、後続の元町・中華街行き8両編成の231レの東急5155Fが追突した。5155Fの前2両(5855, 5755)が脱線、5755の車端部が大きくめり込む。この時はちょうど平成26年豪雪のピークで、東京都心でも約30センチの降雪を記録していた。Y516Fには約80人、5155Fには約60人の乗客が居た。乗客19人が軽傷。5155Fの運転士は衝突前に避難して無事。総合車両製作所に入場した。その後の動きは不明
富士急行
3103
3104
昭和46年
3月4日(木)
8時25分頃
大月線
暮地(現:寿)〜三つ峠
 富士急行列車脱線転覆事故の被災車。河口湖発大月行きの2両編成の列車として運用中、月江寺駅の富士吉田駅(現:富士山駅)寄りの緑が丘第ニ踏切で踏切内に進入したトラックと衝突。床下にトラックを巻き込み空気溜めを破損したため、ブレーキが使用できなくなった。その後約4km暴走し、暮地(現:寿)〜三つ峠の最急40パーミルの下り勾配のカーブに猛スピードで突入、左側の沢に脱線転覆して特に後部車両が大破した。
 トラックは積み荷の落下に気を取られてブレーキ処置をしないまま運転手が下車したため、転動して踏切内に進入した。

画像 画像(衝撃画像注意)
乗員乗客のうち17人が死亡、69人が負傷。
トラック運転手の2名の負傷。
 事故廃車の代替に5000系を新造した。事故後、ブレーキの多重化が行われた。また富士急行では車両番号末尾が忌み番号である4, 9の車両は欠番されるようになった。
上信電鉄
クモハ102
クハ102
昭和59年
12月21日(金)

7時54分頃
上信線
千平〜下仁田
赤津信号所付近
地図
 上信電鉄列車正面衝突事故の被災車。100形2両編成による下仁田発高崎行き上り普通電車(乗客約120人の満員状態)と、対向してきた6000系2両編成による高崎発下仁田行き下り普通電車(乗客約130人の満員状態)が正面衝突した。衝突時、上り列車が時速約20キロ、下り列車が時速約25キロだった。現場は赤津信号所から下仁田駅に約50メートルの地点。
 原因は赤津信号所で列車交換を行うにも関わらず、下り列車の運転士が信号所の停止信号を冒進したため。下り列車の運転士は居眠り運転をして信号を見落としていた。下り列車はポイントも割り出して冒進したが、運転士は衝突するまで気付くことはなく、減速していたの車掌が非常ブレーキを手配していたため。上信電鉄では泊まり・明け・泊まり・明けの4勤1休の勤務体制で、この日の下り列車の運転士は2回目の明け勤務で、5時間程度の睡眠時間だった。下り列車の運転士は乗務歴1年6ヶ月程度だったが、真面目と高評価を得る人物だった。また当時上信線にATSは整備されていなかった。

画像(衝撃画像注意):左が下りの6000系(修理復旧)、右が上りの101系(事故廃車)
上り列車の運転士が死亡、下り列車の運転士が重傷、双方の乗客のうち32人が重傷、91人が軽傷。 クモハ102とクハ102は元西武451系で、それぞれクモハ467とクモハ464。事故後修理されること無く、昭和60年に廃車。
 当時の上信線ではダイヤによって上下列車の交換地点がばらついていたのが事故の原因の1つとして、列車交換地点を統一するダイヤ改正を行った。また昭和60年12月までにATSの整備を行った。
豊橋鉄道
モ1801
モ1811
平成13年渥美線
高師駅構内
 車庫の火災が車両に延焼したため2両が使用不可になった。全焼したモ1801は解体され、半焼だったモ1811は車庫で保管されている。

画像
不明 豊鉄1800系は元東急7200系でモ1801がデハ7203、モ1811がデハ7202。移籍して1ヶ月程度で火災に遭った。
1800系は部品取り用に3両多く譲渡されていたため、そのうち2両を整備し運用に回した。
名古屋臨海高速鉄道
(あおなみ線)
1607
平成20年
10月23日(木)
5時30分頃
西名古屋港線
(あおなみ線)
名古屋駅構内
地図
 始発の4両編成の名古屋発金城ふ頭行き普通ワンマン列車301Hが名古屋駅を出発する際、外し忘れた手歯止め(ハンドスコッチ)に乗り上げて最後尾の1607が全軸脱線、傾斜した。運転士と乗客約25人に死傷はなかった。

画像
なし 1607は新造4年だったが、日本車両で代替新造された。書類上は修理扱いで、車内の銘版も初代の製造年である平成16年になっている。
西日本中小私鉄・第3セクター等
富山地方鉄道
14721
171
平成24年
1月4日(水)
10時10分頃
富山地方鉄道線
立山駅構内
地図
 ホームに停車していた立山発電鉄富山行きの2両編成のワンマン普通列車の床下から発煙しているのを運転士が発見した。消火器で消火活動を行い、消し止められなかったため約30分後に119番通報した。約1時間20分後に鎮火したが、電動車の14721の左側側面を中心に全焼した。車内やホームの乗客は避難したため負傷者はなし。
 原因は床下の抵抗機が過熱したため。積雪の上り勾配という高負荷状態で運転を行ってきたため抵抗器が約500〜600度と高温になり、付近の車体梁の木材や塩化ビニル配管が自然発火したと推定されている。車両は昭和37年製だが、抵抗機は平成22年2月に損傷のしたため平成22年8月に新品に交換されていた。

画像 画像
無し 修理せず編成ごと廃車され、平成25年9月18日に日本総合リサイクルへ搬出された。
京福電気鉄道(現:えちぜん鉄道)
モハ251
モハ1101
平成12年
12月17日(
13時頃
越前本線
志比堺〜東古市(現:永平寺口)
地図
 京福電気鉄道列車衝突事故の1回目の事故の被災車。モハ251による永平寺(現:廃駅)発東古市(現:永平寺口)行きの単行列車のブレーキが効かず、市野々、京善、諏訪間の各駅(廃線により全て廃駅)を通過した後、終点の東古市(現:永平寺口)駅に停車できず冒進。越前本線の福井方面へのスプリング式分岐器を割り込んで進入し、モハ1101単行の越前本線の福井発勝山行き下り列車と正面衝突した。衝突時に下り列車は時速約20キロ、上り列車は時速約60キロだった。
 原因はブレーキを作動させる金属棒(ロッド)が、繰り返し行われた溶接による補修部分から破断したため。モハ251の下回りは台車が昭和3年製と戦前からの物でブレーキが1系統しか無く、ブレーキロッドが折れるとブレーキが出来ない構造だった。京福電気鉄道と検査業務を請け負ったジェイアール西日本テクノス金沢支社の検査体制が問われた。
 ブレーキが故障した下り列車の運転士は無線で停止不能を連絡していたが聞き取られず、異常を伝えて周辺の列車を停止させる警報装置も作動させていたが、越前本線の列車は停止していなかった。また運転士は乗客を出来るだけ車両後方に避難させ、空気抵抗を少しでも増すため窓を開けるように指示し、結果的に乗客に死者は出さなかった。そして避難可能であったにも関わらず衝突の瞬間まで運転席から離れず殉職した。平成13年度社会貢献者表彰第一部門(緊急時の功績・日本財団賞)を受賞。

画像 左がモハ1101、右がモハ251。画像(衝撃画像注意)
下り列車の運転士が死亡、上り列車の運転士・見習い運転士が重傷、両列車の乗客ら32人中1人が重傷、21人が軽傷。 事故後の点検で、ブレーキが1系統しかない15両のブレーキロッドを点検した結果、11両が補修が必要な状況だった。
 国土交通省はブレーキの多重化を全国の鉄道事業者に通告した。その結果、都営荒川線の6152のように廃車となる車両も出た。
 京福の場合、ブレーキが1系統しか無い車両は単行2連とすることで1両のブレーキが故障してももう1両のブレーキが使用できるという形にして運行再開。
 モハ1101は元阪神5107で車体のみ譲渡された車両だった。
京福電気鉄道(現:えちぜん鉄道)
モハ2201
モハ5002
平成13年
6月24日(
18時9分頃
越前本線
保田〜発坂
地図
 京福電気鉄道列車衝突事故の2回目の事故の被災車。モハ5002による勝山発福井行き単行の上り普通列車が、離合するべき発坂駅で信号を確認せずに早発し、対向してきたモハ2201による福井発勝山行き単行の下り急行列車と正面衝突した。ATSは車両には設置されていたが、地上には設置されていなかった。事故現場は発坂駅から約300メートル西側。
 下り列車が信号を冒進したのは列車交換を失念したため。後に乗務予定の路線で信号故障があり、初めて信号の手動操作をしなければならないことを気にしていて、すれ違いを忘れたという。下り列車の運転士は運転士歴が半年に満たなかった。また、事故当時のダイヤでは、ほとんどの列車が越前竹原駅で列車交換を行い、発坂駅で列車交換を行うのは朝ラッシュ時とこの列車の1日2回のみだった。

画像(衝撃画像注意) 右が2201、左が5002
乗員乗客のうち4人が重傷、21人が軽傷。 下り列車の運転士が業務上過失傷害と業務上過失往来危険の疑いで逮捕された。平成14年10月に禁固2年6ヶ月、執行猶予5年の裁判判決を受けた。社長を始めとした本社役員数名も書類送検された。
 国土交通省と中部運輸局福井運輸支局は、半年間に2回の正面衝突事故を起こしたことを重く見て、2回目の事故の翌日より全線運行停止・バス代行運行を命じた。更に7月には安全確保に関する事業改善命令が出された。しかし元々資金繰りに行き詰っていた京福はこの負担に耐えられないと運行再開を断念。第3セクターのえちぜん鉄道へ移管(書類上は一旦全線廃止・開業)された。
 モハ2201は元阪神3302で車体のみ譲渡された車両だった。モハ5002は沿線自治体の補助で1999年に武庫川車両で新製された福井京福41年ぶりの新車だったが事故により実働1年半で廃車された。
信楽高原鉄道
SKR202
SKR204
平成3年
5月14日(火)
10時35分頃
信楽線
貴生川〜紫香楽宮跡
小野谷信号所付近
地図
 信楽高原鐵道列車正面衝突事故の被災車。信楽発貴生川行きの4両編成の各駅停車534Dとして運用中、反対側から走行してきたJR西日本の京都発信楽行き3両編成の臨時快速501D世界陶芸祭しがらき号(先頭はキハ58-1023)と正面衝突した。信楽高原鉄道のレールバスは1両目(SKR202)が原型を留めないほどに粉砕され、2両目(SKR204)の貴生川側妻面が大破。双方とも超満員だったため多くの死傷者が発生した。信楽高原鉄道のレールバス2両とキハ58-1023が廃車。
 原因は双方ともにATSを無断で切り替え誤出発検知装置を過信して見切り発車したためで、安全軽視と厳しく批判された。JR側が小野谷信号場を通過し、単線区間のカーブの先から来た信楽の列車と衝突した。列車無線もJRと信楽で異なるため互いの通信には使用できなかった。事故現場は紫香楽宮跡駅から東に約200メートル、新名神高速信楽IC付近。

画像(衝撃画像注意) 画像
双方合わせて乗客37名と信楽側の社員5人の42人が死亡、614人が重軽傷。 事故により陶芸祭も中止となった。
 鈍重なキハ58との正面衝突で粉砕されたレールバスは鉄道関係者に大きな衝撃を与え、極限まで簡素化されたレールバスの構造がより鉄道らしく改善された。陶芸祭のために2億円かけて新設された小野谷信号場は廃止され信楽高原鉄道線は全区間1閉塞運転となった。
 信楽の4両は当時の所有車両全車にあたる。SKR202は昭和62年7月13日に、SKR204は昭和63年7月に富士重工業で新製、平成5年9月30日付けで廃車となり、実働4〜5年と短命だった。代替にSKR205を平成4年7月に新製。社員も14人中5人を失った。
三岐鉄道
クハ1851
平成24年
11月8日(木)
午前9時40分頃
三岐線
三里駅構内
地図
 近鉄富田発東藤原行きの3両編成のワンマン普通列車13レとして運用中、安全側線に突入、車止めに衝突して先頭車が全軸脱線した。乗客2人と運転士に死傷は無かった。
 原因は運転士の信号見落とし。運転指令が列車交換が無いにも関わらず、何故か信号を赤にしてポイントを切り替えていた。しかし運転士は列車交換が無いので青信号でポイントが開通してると思い込み進行したため、赤信号を冒進し安全側線に突入した。事故後には「青信号だと思って発車したが、赤信号だったかもしれない。」と証言している。運転士は7月に乗務を始めたばかりだった。
 クハ1851の台枠が損傷したため事故翌日に現地解体された。

新聞記事
無し 三岐鉄道は平成24年の間に3回もの脱線事故を起こした。
 クハ1851は元西武701系クハ1790。クハ1851の代替に部品取り車となっていた元西武新101系クハ1238を整備し、クハ1881として復旧予定。
阿佐海岸鉄道
ASA-201
平成20年
6月30日(月)
21時30分頃
阿佐東線
宍喰駅構内
地図
 車庫入れしようとしていた1両編成の列車が車止めに乗り上げ、壁に衝突した。乗車していたのは運転士1名のみだった。
 原因はスピードの出し過ぎ。
運転士が軽傷。 ASA-201は宝くじ号で、「あさしお」の愛称。同年11月18日付けで廃車となった。事故後、阿佐海岸鉄道唯一の所属車両となったASA-101のみで運行を再開、検査に入った9月1日から10月12日までJR四国のキハ40-2110を借り入れて運行した。
 代替として廃止された高千穂鉄道のTR201を無償譲渡してもらい、ASA-301として導入。
松浦鉄道
MR-301
平成8年
1月18日(木)
6時20分頃
西九州線
中里〜皆瀬
地図
 たびら平戸口発佐世保行き2両編成のワンマン普通列車として乗客17人と運転士を乗せて運用中、踏切で立ち往生していた大型トレーラーを発見。約200メートルで非常制動を手配したが間に合わず衝突。先頭車が脱線し傾いた。
 原因はトレーラーが盛土の頂点に位置する踏切で底を擦って立ち往生していたこと。

画像
運転士と乗客13人が軽傷。トレーラー運転手は退避しており無事。 旧車体は放棄され車体新製した。旧車体は佐々駅構内で職員の更衣室として使用されている。行き先幕は何故か「ひかり|博多」。
島原鉄道
キハ2007
キハ2009
平成4年
11月3日(火
19時30分頃
島原鉄道線
阿母崎〜吾妻
 島原鉄道正面衝突事故の被災車。加津佐(現:廃駅)行き単行の下り列車と諫早行き単行の上り列車が正面衝突した。
 原因は上り列車が所定の交換駅で下り列車を待たないまま停止信号を冒進して発車したため。上り列車の運転士は吾妻駅で下り列車を待ったが、定刻の40秒後になっても下り列車が来なかったため、「もっと先で待っていると思った」ため発車、車掌も信号を確認しないまま出発合図を送っていた。当時島原鉄道線にはATSが整備されておらず、平成元年、平成2年に九州運輸局からATS設置の勧告を受けていたが、設置に費用がかかり過ぎるとして見送っていた。
当時島原鉄道は、前年に発生した雲仙普賢岳の噴火災害により一部区間が不通になるなど甚大な被害を受けており、その中の事故で同社の経営に深刻なダメージを与えた。

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乗客74人が負傷、1名は2週間後に死亡。 上り列車の運転士(当時20歳)と車掌(当時19歳)が業務上過失傷害、業務上過失往来妨害の疑いで逮捕された。島原鉄道のATS未設置や若すぎる乗務員だけで運行させていたことも問題とされたが、信号確認義務を怠ったのは極めて重い責任であるとして運転士に禁固3年、車掌に禁固2年が求刑された。
 島原鉄道では事故後に列車交換地点を統一するダイヤ改正と、平成5年12月までにATSの整備を行った。
 キハ2007、キハ2009は共に元国鉄キハ20。
島原鉄道
キハ2512
平成21年
8月8日(
8時14分頃
島原鉄道線
吾妻〜古部
第78-2踏切
地図
 諫早発島原外港行き単行の下り急行201レとして乗員2人乗客16人を乗せて運用中、安全確認不十分のまま踏切に進入した8トンダンプカーに衝突。ダンプカーが炎上し、列車にも延焼した。
 事故現場の踏切は遮断機・警報機ともに設置されていない第4種踏切だった。

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乗客3人が軽傷。ダンプカー運転手が重傷。 代替として平成23年にキハ2553を新造。キハ2512は平成13年製で新造から8年の活躍だった。
要検証
名古屋鉄道
7703
昭和61年小牧線
明治村口駅(現:羽黒)付近?
踏切事故で大破、代替新造?気合で修理?不明化粧板や貫通路の形状が7000系列ではなく6000系・6500系のモノだった。
智頭急行
HOT7034
平成24年
2月17日(
16時46分頃
JR西日本
JR神戸線(山陽本線)
西明石駅構内
地図
 倉吉発京都行き5両編成の上り特急60D「スーパーはくと10号」として乗客146人と乗員3人を乗せて運用、時速約106kmで力行運転中、西明石駅の東側で線路と交差する業務用通路から2トントラックが出てくるのも確認した。非常ブレーキを手配したが間に合わず衝突、約404メートル過ぎて停止した。トラックを巻き込んだため5両全車の左側面に傷が付き、1〜3両目の窓ガラスが一部破損し乗客が負傷した。業務用通路は第三種踏切に類似した、遮断機がなく警音器がある構造だった。
 原因はトラックの運転手が警音器が鳴っているにもかかわらず踏切に進入したため。
倉吉 HOT7005-HOT7052-HOT7048-HOT7034-HOT7022 京都→

画像
乗客9人とトラック運転手が軽傷。HOT7034が新潟トランシスへ輸送し修理された。車体振替?只切接ぎ修理?


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  :中の人のTwitter

参考
http://yomi.mobi/read.cgi/hobby9/hobby9_rail_1171717637/
http://mimizun.com/log/2ch/train/1053605039
http://mimizun.com/log/2ch/train/1057581451/
http://yomi.mobi/read.cgi/anchorage/anchorage_rail_1215426668
http://logsoku.com/thread/bubble.2ch.net/train/1053605039/
http://logsoku.com/thread/bubble.2ch.net/train/1057581451/
http://mimizun.com/log/2ch/rail/1106058861/
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/rail/1387170052/
http://i-ikioi.com/th/train/1259481647/
他、各種ホームページ・各種文献等
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