メーデー!なリストの詳細世界の航空機事故ワースト100
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<メーデー!なリスト>
事故名・Wikipediaへのリンク、日付、発生場所、運行会社・便名・機体、原因、番組放送回とタイトル、の順。
メーデー!:航空機事故の真実と真相:ナショナル・ジオグラフィック公式
メーデー!:航空機事故の真実と真相(ウィキペディア記事。放送リストなど)

・濃霧の滑走路上でジャンボ機同士が衝突。乗員乗客計644人中583人死亡
テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故(テネリフェの悲劇)
1977年3月27日、スペイン領カナリア諸島ロス・ロデオス空港
KLMオランダ航空4805便B747-200B×パンアメリカン航空1736便B747-100
KLM機が管制との意思不疎通のまま離陸を開始したことが主原因で、滑走路上でパンナム機と衝突

・圧力隔壁の破壊で油圧系統全損し操縦不能。乗員乗客524人中520人死亡
日本航空123便墜落事故
1985年8月12日、日本・群馬県上野村御巣鷹の尾根
日本航空123便B747-100SR
しりもち事故後のボーイング社の不適切な修理による圧力隔壁の損壊、油圧喪失
#3-3 「御巣鷹の尾根」、番外編#1-2「3つの空域」

・英語の航空管制が理解できず空中衝突、両機の乗員乗客計349人全員死亡
ニューデリー空中衝突事故
1996年11月12日、インド・ニューデリー近郊上空14000フィート
サウジアラビア航空763便B747-100B×カザフスタン航空Il-76
カザフ機が管制の指示を理解できずにサウジ機と同じ高度に侵入
#6-4 「サウジアラビア航空763便」

・飛行中に貨物室ドアが開き墜落。乗員乗客346人全員死亡
トルコ航空DC-10パリ墜落事故
1974年3月3日、フランス・オワーズ県サンリス近郊
トルコ航空981便DC-10-10
貨物室ドアが与圧に耐えられず吹き飛んだ。設計ミスとダグラス社が修理したと書類偽装したことが原因
#5-3 「キャビンの穴」

・北大西洋上空9500mで時限爆弾が爆発。乗員乗客329人全員死亡
インド航空182便爆破事件
1985年6月23日、アイルランド・コーク沖の北大西洋31000フィート
エアインディア182便B747-200B
シーク教徒の爆弾テロ。不搭乗者の荷物を積載したインド航空のミスとトロント空港の荷物検査の不備も原因。
#5-7 「持ち込まれた小型爆弾」

・貨物室火災で緊急着陸に成功後、誘導路上で全焼。乗員乗客301人全員死亡
サウジアラビア航空163便火災事故
1980年8月19日、サウジアラビア・リヤド空港
サウジアラビア航空163便L1011-200
貨物室火災に対する乗員の対応遅れと地上救援隊の練度不足

・イラン領空でアメリカ海軍のミサイルに撃墜され乗員乗客290人全員死亡
イラン航空655便撃墜事件
1988年7月3日、イラン近隣のペルシャ湾・ホルムズ海峡上空
イラン航空655便A300-200
米軍がイラン空軍の戦闘機と誤認しミサイルで撃墜
#3-6 「誤認」

・滑走中にエンジンが脱落し離陸直後に墜落。乗員乗客271人全員死亡
アメリカン航空191便墜落事故
1979年5月25日、米国イリノイ州シカゴ・オヘア空港近隣
アメリカン航空191便DC-10-10
不適切な整備でパイロン固定ピンが破損
#5-1「大地への激突」、#10-7「アメリカン航空191便」

・スコットランド上空でラジカセ内のプラッチック爆弾が爆発。乗員乗客259人全員死亡
パンアメリカン航空103便爆破事件(ロッカビー事件・パンナム機爆破事件)
1988年12月21日、英国スコットランド・ロッカビー村上空
パンアメリカン航空103便B747-100
リビア政府による爆破テロ。パンナムの乗客と荷物の一致原則の違反
#6-2 「パンナム103便」

・ソ連の領空侵犯して戦闘機に撃墜されたニダ。乗員乗客269人全員死亡
大韓航空機爆破事件
1983年9月1日、日本・北海道北の樺太近海
大韓航空007便B747-200
ソ連へ領空侵犯し撃墜される
#7-5 「大韓航空007便」

・過激なラダー操舵で垂直尾翼が折れ墜落。乗員乗客260人全員死亡
アメリカン航空587便墜落事故
2001年11月12日、米国ニューヨーク州ジョン・F・ケネディ空港近隣の住宅街
アメリカン航空587便A300-600
後方乱気流遭遇時の方向舵過剰操作による垂直尾翼の折損

・自動操縦に逆らって着陸しようとして失速。乗員乗客271人中264人死亡
中華航空140便墜落事故(中華航空機墜落事故)
1994年4月26日、日本・愛知県小牧市の名古屋空港
中華航空(チャイナエアライン)140便A300-600R
自動操縦状態で強制着陸に失敗

・タイヤ空気圧不足で滑走中過熱発火し離陸直後に墜落。乗員乗客261人全員死亡
ナイジェリア航空2120便墜落事故
1991年7月11日、サウジアラビア・ジッダのキンブ・アブドゥルアズディーズ空港
ナイジェリア航空2120便DC-8-61
タイヤの空気圧が低い状態で離陸、車輪を格納したことによる火災
#9-10「ナイジェリア航空2120便」

・航法ミスとホワイトアウトで南極大陸に激突。乗員乗客257人全員死亡
ニュージーランド航空901便エレバス山墜落事故
1979年11月28日、南極大陸・エレバス山
ニュージーランド航空901便DC-10-30
地上職員による慣性航法装置通過ポイントの勝手な変更とホワイトアウト

・管制官が指示を誤り逆方向に旋回させ台地に激突。乗員乗客234人全員死亡
ガルーダ・インドネシア航空152便墜落事故
1997年9月26日、インドネシア・スマトラ島メダン郊外のパンクール・バトゥ村近隣
ガルーダ・インドネシア航空A300-200
航空交通管制の指示ミスによるCFIT

・燃料タンク内の気化ガスが爆発し空中分解。乗員乗客230人全員死亡
トランスワールド航空800便墜落事故
1996年7月17日、米国ニューヨーク州ロングアイランド沖大西洋のイースト・ハンプトン
トランスワールド航空800便B747-100
燃料タンク内の電気配線がショートし空中爆発

・配線不良から天井裏で発火、煙で操縦不能になり墜落。乗員乗客229全員死亡
スイス航空111便墜落事故
1998年9月2日、カナダ・ノバスコシア州沿岸の大西洋
スイス航空111便MD-11
配線不備による火災と不適切な判断
#1-3 機内火災

・機体に何も異常が無いのに地面に激突したニダ。乗員乗客228人死亡
大韓航空801便墜落事故
1997年8月6日、米国グアム島・グアム空港近隣
大韓航空801便B747-300
過労気味の機長が主原因のCFIT、絶対的上下関係も影響
#4-4 「着陸ミスと事故原因」

・圧力隔壁の修理ミスが原因で空中分解し海上に四散。乗員乗客225人全員死亡
チャイナエアライン611便空中分解事故
2002年5月25日、台湾・澎湖諸島沖の台湾海峡海上35000フィート
チャイナエアライン611便B747-200B
しりもち事故後のチャイナエアラインでの機体外装の不適切な修理による金属疲労
#6-1 「チャイナエアライン611便」

・飛行中に逆噴射が誤作動し空中分解。乗員乗客233人全員死亡
ラウダ航空004便墜落事故
1991年5月26日、タイ・ウエィンバンノンの熱帯雨林
ラウダ航空004便B767-300
エンジン故障による逆噴射、空中分解

・機長がトイレに行った隙に副操縦士が故意に墜落させ乗員乗客217人全員死亡
エジプト航空990便墜落事故
1999年10月31日、米国マサチューセッツ州ナンタケット沖の大西洋
エジプト航空990便B767-300ER
副操縦士の自殺目的による急降下
#3-8 「エジプト航空990便の悲劇」

・計器故障で機体姿勢を誤認識、機首から海面に激突。乗員乗客213人全員死亡
インド航空855便墜落事故
1978年1月1日、インド・ボンベイ沖のアラビア海
エアインディア855便B747-200B
人工水平機故障後に回復不能な不用意な操作

・失速振動をエンジン振動と思い込みフラットスピンに陥り墜落。乗員乗客200人全員死亡
アエロフロート航空7425便墜落事故
1985年7月10日、現在のウズベキスタン・ウチュクダク近郊
アエロフロート航空7425便Tu154B-2
パイロット操作ミスによる失速

・自動操縦に逆らって着陸復行しようとして失速。乗員乗客196人全員死亡
チャイナエアライン676便墜落事故
1998年2月16日、台湾・中正空港付近
チャイナエアライン676便A300-600R
自動操縦解除後の異常飛行

・着陸後オーバーランしてガソリンスタンドに激突炎上。乗員乗客187人全員死亡
TAM航空3054便オーバーラン事故
2007年7月17日、ブラジル・コンゴニャス空港
TAM航空A320-200
逆推力装置の誤操作によるオーバーラン
#9-2「タン航空3054便」


<メーデー!なリスト2>

・ピトー管内に蜂が巣を作り墜落。乗員乗客189人全員死亡
バージェン航空301便墜落事故
1996年2月6日、ドミニカ共和国・プエルトプラタ沖の大西洋
バージェン航空301便(アラス・ナショナル航空が運行)B757-200
ピトー管の閉塞による対気速度計異常
#5-8 「速度計の警告サイン」

・軸受の欠陥でシャフトが構造破壊しジェットエンジンが爆発。乗員乗客183人全員死亡
LOTポーランド航空5055便墜落事故
1987年5月9日、ポーランド・ワルシャワ郊外
ポーランド航空5055便Il-62M
エンジン故障、燃料投棄が出来ないまま火災による墜落

・設計限界高度以上に上昇しフラットスピンに陥り墜落。乗員乗客170人全員死亡
プルコボ航空612便墜落事故
2006年8月22日、ウクライナ東部上空
プルコボ航空612便Tu-154
操縦ミスによる最大飛行高度超過

・戦闘機と空中衝突。乗員乗客162人全員死亡
全日空機雫石衝突事故
1971年7月30日、日本・岩手県雫石町上空
全日本空輸58便B727-200×航空自衛隊F-86F
自衛隊機のジェットルートへの侵入、双方の接触回避の遅れから空中衝突

・中国の格安違法整備工場で自動操縦装置の誤配線。乗員乗客160人全員死亡
中国西北航空2303便(英語版
1994年6月6日、中国・陝西省西安市郊外
中国西北航空2303便Tu-154
自動操縦装置の信号ケーブルに接続ミスがあったため自動操縦に切り替えた際に異常振動が発生して空中分解。

・フラップ出し忘れで離陸直後に墜落。乗員乗客157人中156人死亡
ノースウエスト航空255便墜落事故
1987年8月16日、米国ミシガン州デトロイト空港
ノースウエスト航空255便DC-9-82
フラップとスラットを展開しないまま離陸し失敗、警報装置も意図的に停止
#7-2 「ノースウエスト航空255便」

・軍輸送機の貨物扉が飛行中に突然開き墜落。328人中155人死亡
1975年アメリカ空軍C-5サイゴン事故(オペレーション・ベビーリフト)
1975年4月4日、ベトナム・サイゴンのタンソンニャット基地近隣
米国空軍ロッキードC-5ギャラクシー
戦場での困難な部品確保から機体の整備不良、ハッチが吹き飛び操縦系統破断
#6-5 「米空軍C-5A ギャラクシー」

・小型機とスレ違い,ウィングレットで主翼を切断され墜落。乗員乗客154人全員死亡
ゴル航空1907便墜落事故
2006年9月29日、ブラジル・パラ州南部
ゴル航空1907便B737-800×米国所属ビジネス機のエンブラエルレガシー600
トランスポンダの設定ミスとエンブラエル機側のパイロットミス
#5-10 「無線沈黙」、番外編#2-1「通信システム故障」

・軽飛行機と空中衝突。両機の乗員乗客全員および地上の7人計144人死亡
パシフィック・サウスウエスト航空182便墜落事故
1978年9月25日、米国カリフォルニア州サンディエゴ上空
パシフィック・サウスウエスト航空182便B727-200×自家用機セスナ172
182便がセスナを見失った際にあやふやな回答をし、それを管制が過信したまま着陸指示
#9-9 「パシフィック・サウスウエスト航空182便墜落事故」

・油圧バルブの欠陥でラダーが逆に動き墜落。乗員乗客132人全員死亡
USエアウェイズ427便墜落事故
1994年9月8日、米国ペンシルベニア州ホープウェル
USエアウェイズ427便B737-300
サーボバルブの劣化によるラダー制御装置の作動不良
#4-5 「737型機に潜む危険」

・富士山の乱気流で空中分解。乗員乗客124人全員死亡
英国海外航空機空中分解事故
1966年3月5日、日本・静岡県御殿場市上空の富士山付近
英国海外航空911便B707-400
山岳波のよる空中分解

・乗員乗客全員が昏睡状態のまま飛び続け燃料切れで墜落。121人全員死亡
ヘリオス航空522便墜落事故
2005年8月14日、ギリシャ・アテネ付近
ヘリオス航空522便B737-300
整備後に与圧装置を切り替えなかったことによる酸素欠乏
#4-10 「ゴースト」

・自動操縦の設定を誤り山に激突。乗員乗客113人全員死亡
→タイ国際航空311便墜落事故(英語版)
1992年7月31日、ネパール・カトマンズ空港近郊の国立公園内
タイ国際航空311便A310-300
CFIT

・生命保険目当ての乗客が機内で放火し墜落。乗員乗客112人全員死亡
中国北方航空6136便放火墜落事件
2002年5月7日、中国・大連周水子空港付近の海上
中国北方航空6136便MD-82
乗客が自殺目的で機内放火

・ファンブレード破壊で油圧系全損。空港に辿りつくが乗員乗客296人中111人死亡
ユナイテッド航空232便不時着事故
1989年7月19日、米国アイオワ州スーシティのスーゲートウェイ空港
ユナイテッド航空232便DC-10
製造時の金属欠陥による油圧系統の全損
#9-14「ユナイテッド航空232便」

・圧力隔壁が塩水の腐食で破壊して空中分解。乗員乗客110人全員死亡
遠東航空103便墜落事故
1981年8月22日、台湾・苗栗県の山中
遠東航空103便B737-200
金属疲労による空中分解

・積荷の酸素発生器から出火、煙でパイロットが意識喪失。乗員乗客110人全員死亡
バリュージェット航空592便墜落事故
1996年5月11日、米国フロリダ州エバーグレーズ
バリュージェット航空592便DC-9-30
危険物の積荷を違法に積載し、安全装置も使用しなかったことによる貨物室火災
#10-2「バリュージェット航空592便」

・離陸時に異物を踏んで燃料タンク破損し出火,墜落。乗員乗客109人全員死亡
コンコルド墜落事故
2000年7月25日、フランス・シャルルドゴール空港近隣のホテル
エールフランス航空4590便コンコルド
滑走路上の金属片を巻上げて燃料タンク損傷

・イスラエルの領空侵犯して戦闘機に撃墜され乗員乗客113人中108人死亡
リビア航空機撃墜事件
1973年2月21日、イスラエル占領下のエジプト・シナイ半島
リビアンアラブ航空114便B727-200
領空侵犯によりイスラエル空軍に撃墜された

・計器盤の電球交換中誤って自動操縦解除し墜落。乗員乗客176人中103人死亡
イースタン航空401便墜落事故
1972年12月29日、米国フロリダ州エバーグレーズ
イースタン航空401便L-1011トライスター
自動操縦を過信したパイロットエラーによるCFIT
#5-9 「注意散漫」

・金属疲労が未知の現象だったため連続空中分解。3機の乗員乗客計98人全員死亡
コメット連続墜落事故
英国海外航空783便墜落事故:1953年5月2日、インド・カルカッタ郊外の上空7000フィート、英国海外航空783便デ・ハビランドコメット1、犠牲者43人
英国海外航空781便墜落事故:1954年1月10日、イタリア・エルバ島近辺の地中海上空26500フィート、英国海外航空781便デ・ハビランドコメット1、犠牲者35人
南アフリカ航空201便墜落事故:1954年4月8日、イタリア・ティレニア海上空30000フィート、南アフリカ航空201便デ・ハビランドコメット1、犠牲者21人
それぞれ機体の構造的欠陥が原因、783便は悪天候も重なった。

・6400m上空で乱気流と落雷により空中分解。乗員乗客92人中91人死亡。
→LANSAペルー航空508便墜落事故(英語版)
1971年12月24日、ペルー・プエルトインカ上空
LANSAペルー航空508便L-188エレクトラ
ヒューマンエラーで乱気流内に突入し空中分解

・飲酒機長が「私は操縦なんかできない」。乗員乗客88人全員死亡。
アエロフロート821便墜落事故
2008年9月14日、ロシア・ペルミ州ペルミ
アエロフロート・ノルド航空821便B737-500
着陸進入時の事故。機長の飲酒とも報じられた。

・着陸順番待ちの旋回中に燃料切れ。乗員乗客158人中85人死亡 ←正しくは73人死亡85人負傷
アビアンカ航空52便墜落事故
1990年1月25日、米国ニューヨーク州コーブネック
アビアンカ航空52便B707-300B
長時間の着陸待機による燃料切れ
#2-6 「ニューヨーク上空」、番外編#2-1「通信システム故障」

・演習で発射された地対空ミサイルに撃墜され乗員乗客78人全員死亡
シベリア航空機撃墜事件
2001年10月4日、黒海上空
シベリア航空1812便Tu-154M
ウクライナ軍の訓練中の地対空ミサイルによる誤射

・機長が15歳の息子に児童操縦させたため墜落。乗員乗客75人全員死亡
アエロフロート航空593便墜落事故
1994年3月22日、ロシア・ケメロヴォ州ノヴォクズネツク郊外の針葉樹林帯
アエロフロート航空593便A310-300
コックピットに連れ込んだパイロットの息子が自動操縦を解除した
#3-9 「コックピット内の子供」、番外編#1-3「パイロットは誰?」

・ピトー管静圧孔にマスキングテープを貼ったまま離陸し墜落。乗員乗客70人全員死亡
アエロペルー603便墜落事故
1996年10月2日、ペルー・リマ近海の太平洋
アエロペルー603便B757-200
ピトー管が機能しない事による盲目飛行
#1-5 「計器異常」、番外編#1-3「パイロットは誰?」

・精神病の機長が逆噴射を作動させ墜落。乗員乗客174人中24人死亡
日本航空350便墜落事故
1982年2月9日、日本・羽田空港沖の東京湾
日本航空350便DC-8-61
機長が突発的に逆噴射を行い着陸失敗

・機内にワニ、乗客がパニックで動き回り機体バランス失い墜落。乗員乗客21人中20人死亡
→バンドゥンドゥ小型機墜落事故(英語版)
2010年8月25日、コンゴ民主共和国・バンドゥンドゥ近郊
フィルエアー?(Filair)・Let L-410UVP-E20C(チェコスロバキア製の小型レプシロ機)
燃料切れによる墜落と、密輸目的で機内に持ち込まれたワニが原因でパニックになったと報じられる。



世界の航空機事故ワースト100(2016年7月16日時点)
発生日時は西暦、時刻は現地時間。DSTは夏時間(Daylight Saving Time)。ロシアなど標準時に変更があった場合は、事故発生時点の標準時で表記。
参考アメリカ同時多発テロ事件(9.11事件):September 11 attacks
アメリカン航空11便テロ事件:American Airlines Flight 11
2001年9月11日 8時46分頃(衝突時刻、UTC-0400DST)
アメリカン航空11便 B767-223ER(N334AA)
マサチューセッツ州ボストン発カリフォルニア州ロサンゼルス行き
乗員11人乗客81人の92人、内テロリスト5人
アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク市
ワールドトレードセンター ノースタワー
40.4242N, 74.0045W
4機の乗員乗客265人(内ハイジャック犯19人)全員死亡、地上の2,731人以上が死亡、地上の6,291人以上が負傷
 「突入した1機目の飛行機」。離陸の約14分後の8時13分頃にハイジャックされ、テロリスト自ら操縦、8時46分頃にワールドトレードセンター ノースタワーの95階に衝突した。テロリストは燃料を大量に搭載する大陸横断便を標的としており、11便も約38,000リットル積載したまま時速約750キロの高速度でノースタワーに突入した。ノースタワーは10時28分に崩落、11便の乗員乗客92人全員とノースビルの約1,600人が死亡。
アメリカ同時多発テロ事件(9.11事件):September 11 attacks
ユナイテッド航空175便テロ事件:United Airlines Flight 175
2001年9月11日 9時3分頃(衝突時刻、UTC-0400DST)
ユナイテッド航空175便 B767-222(N612UA)
マサチューセッツ州ボストン発、カリフォルニア州ロサンゼルス行き
乗員11人乗客56人の65人、内テロリスト5人
アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク市
ワールドトレードセンター ノースタワー
40.4242N, 74.0045W
4機の乗員乗客265人(内ハイジャック犯19人)全員死亡、地上の2,731人以上が死亡、地上の6,291人以上が負傷
 「突入した2機目の飛行機」。175便でもアメリカン航空11便の不審な通信を聴いていたが、8時42分頃にハイジャックされた。テロリストが自ら操縦、9時3分ごろにワールドトレードセンター サウスタワーに衝突した。1機目の衝突で注目が集まる中での衝突だったため、全世界にリアルタイムで配信され、同時に事故ではなく意図的なテロ事件だと認識された。175便も大陸横断便で大量に燃料を搭載していたことから、テロの標的にされた。左旋回しながら突入したため衝撃が大きく、サウスタワーはノースタワーより先の9時59分に崩落した。175便の乗員乗客65人全員とサウスビルの約1,200人が死亡。
アメリカ同時多発テロ事件(9.11事件):September 11 attacks
アメリカン航空77便テロ事件:American Airlines Flight 77
2001年9月11日 9時38分頃(衝突時刻、UTC-0400DST)
アメリカン航空77便 B757-223(N644AA)
ワシントンDC発カリフォルニア州ロサンゼルス行き
乗員6人乗客58人の64人、内テロリスト5人
アメリカ合衆国 ワシントンDC
国防総省本庁舎(ペンタゴン)
38.5215N, 77.0321W
4機の乗員乗客265人(内ハイジャック犯19人)全員死亡、地上の2,731人以上が死亡、地上の6,291人以上が負傷
 アメリカ国防総省本庁(ペンタゴン)に突入した飛行機。8時51分ごろにハイジャックされ、テロリストが自ら操縦、9時38分頃にペンタゴンに突入した。突入した部分の半分は改装中であまり人が居なかったが、77便の乗員乗客64人全員とペンタゴンの189人が死亡。
アメリカ同時多発テロ事件(9.11事件)
September 11 attacks

ユナイテッド航空93便テロ事件:United Airlines Flight 93
2001年9月11日 10時3分頃(墜落時刻、UTC-0400DST)
ユナイテッド航空93便 B757-222(N591UA)
ニュージャージー州ニューアーク発カリフォルニア州サンフランシスコ行き
乗員7人乗客37人の44人、内テロリスト4人
アメリカ合衆国 ペンシルバニア州シャンクスヴィル
40.0304N, 78.5417W
4機の乗員乗客265人(内ハイジャック犯19人)全員死亡、地上の2,731人以上が死亡、地上の6,291人以上が負傷
 9時27分頃ハイジャックされテロリストが自ら操縦していたが、9時57分に先3機のテロ事件を地上との電話で知った乗客たちが一斉にコックピットへ突入を試みた。10時3分、時速約580キロで地表へ墜落した。抵抗出来ないと悟ったハイジャック犯が故意に墜落させた、騒動の中で操作を誤った、制圧した乗員乗客が操作したなどの説がある。同時多発テロ事件で唯一突入に失敗した。ハイジャック犯はワシントンDCのホワイトハウスか、合衆国議会議事堂に突入しようとしていたと考えられている。乗員乗客44人全員が死亡したが、地上での犠牲者はなかった。93便だけハイジャック犯は4人だった。
「ユナイテッド93」として映画化。
参考エア・アフリカ貨物機墜落事故(英語版):1996 Air Africa crash
1996年1月8日(UTC+0100)
モスクワ航空 An-32B
実際の運行はエア・アフリカ
ザイール(現:コンゴ民主共和国) キンシャサ
ンドロ空港近隣の農場
乗員2人と、地上の350人〜600人が死亡。乗員4人が生存
 過積載状態で、短い滑走路で無理に離陸しようとして失敗。わずかに浮き上がったものの滑走路のすぐ先で墜落、地上を滑って買い物客で混雑するマーケットへ突入し、火の海と化した。犠牲者は350〜600人と言われるが、遺体の損傷が激しく正確な死者は不明。おそらくテネリフェの悲劇、日航123便事故に次ぐ犠牲者数になると考えられている。
1テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故(テネリフェの悲劇):Tenerife airport disaster
1977年3月27日 17時6分頃(UTC+0000)
パンアメリカン航空1736便 B747-121(N736PA)
米国カリフォルニア州ロサンゼルス発、同国ニューヨーク州ニューヨーク経由、スペイン領カナリア諸島グランドカナリー行き
×
KLMオランダ航空4805便 B747-206B(PH-BUF)
オランダ・アムステルダム発、スペイン領カナリア諸島グランドカナリー行き
スペイン領カナリア諸島テネリフェ島ロス・ロデオス空港
28.4816N, 16.3384W
パンナム機の乗員16人乗客380人の396人とKLM機の乗員14人乗客234人の248人の644人中、パンナム機の乗員9人乗客326人とKLM機248人全員の583人が死亡。パンナム機の乗員7人と乗客54人の61人が生存。
 KLM機が管制との意思不疎通のまま離陸を開始したことが主原因で、滑走路上でパンナム機と衝突した。
 両機は本来グランドカナリー行きであったが、爆弾設置の予告電話があったため閉鎖され、テネリフェへダイバートしていた。他にも多数の旅客機がダイバートして平行誘導路が埋まっていたため、ボーイング747の2機はKLM機を前にして離陸待機場所で駐留することになった。その間KLM機は1度乗客を降ろして給油することにした。その直後に空港の爆弾予告が嘘だったと判明してグランドカナリーの空港が再開、別の旅客機は次々飛び立っていったが、パンナム機はボーイング747のため、給油中のKLM機の脇を通り抜けられずに待機せざるを得なかった。
 KLM機は給油を終えた後、滑走路の端までタクシングした。本来滑走路に2機以上進入させてはならないが、管制の指示に従いパンナム機はそれに続いて途中の第3誘導路まで進もうとしていた。しかしパンナム機は第1誘導路を見落としていたため第4誘導路が第3誘導路だと判断して、また本来の第3誘導路は約135度曲がらなくてはならないためボーイング747には通過困難であったため、そのまま滑走路上をタキシングした。一方KLM機は離陸滑走を開始しようとしていたが管制承認が出ていなかったため、管制へ管制承認を行った。しかし管制承認は本来「離陸のスタンバイ」の確認であるにも関わらず管制は本来使用してはならない「離陸(take off)」という言葉を使用したため、KLM機は「離陸を始めても良い」と受け止めてしまった。KLM機からの返答は「"We are at take off"(これから離陸する)」「"We are taking off"(離陸している)」とも聞き取れるオランダ訛りの英語だったため、管制は混乱し「OK、(約2秒無言)待機せよ、あとで呼ぶ (OK, … Stand by for take off. I will call you)」と伝えた。パンナム機はこのやりとりを聞いて不安に感じ、「だめだ、こちらはまだ滑走路上をタクシング中だ (No, we are still taxiing down the runway)」と警告したが、この2者が混信したため、KLM機には「OK」だけが聞こえた。つまりKLM機は「管制から離陸許可が出た」、管制は「KLM機は離陸開始位置で待機している」、パンナム機は「KLM機と管制に警告が届いた」とそれぞれ判断した状況に陥った。また当時空港では濃い霧が発生しており、管制・KLM機・パンナム機はお互いが見えない状況であり、滑走路上の地上管制レーダーは設置されていなかった。
 KLM機はフルスロットルにして離陸滑走を開始。直後に管制がパンナム機に対し「滑走路を空けたら報告せよ (Report the runway clear)」と伝え、パンナム機も「OK、滑走路を空けたら報告する (OK, we'll report when we're clear)」と回答した。KLM機にもやりとりが聞こえており、機関士は機長にまだパンナム機が滑走路上に居るのでは無いかと意見したが、機長・副操縦士は強い調子で「大丈夫だ」と回答し、離陸を急ぐ機長へそれ以上意見するのはためらった。
 パンナム機は第4誘導路に差し掛かったところでKLM機の着陸灯を確認、慌てて左に避けようとしたが時間が足りず45度ほど機首を曲げるのが精一杯だった。KLM機もパンナム機を確認したが離陸決心速度(V1)を超えているため停止制動は出来ず、機首引き起こし速度(VR)には達していない最悪のタイミングだった。機長は衝突を避けようと強引に機首を上げたが、給油して重くなっていたためわずかにしか浮き上がらず、パンナム機の操縦席直後部分に衝突した。KLM機は衝突の衝撃で第1エンジンが脱落、第2エンジンは破片を吸ったため操縦不能に陥り、約150メートル先で失速して裏返しに墜落、約300メートル滑走して爆発炎上した。パンナム機は胴体の2階部分を粉砕されてその場で崩壊、爆発した。生存者は主に衝突と反対側の左側の胴体後部の乗員乗客と、3人の運航乗務員だった。
 同時多発テロ事件を除き犠牲者数で世界最悪の事故となった。使用する用語を中心に航空規則の改正が行われた。テネリフェ空港はこの事故の後に霧の少ない島南部に新空港を建設した。
2日本航空123便墜落事故(日航機墜落事故):Japan Airlines Flight 123
1985年8月12日 18時56分頃(UTC+0900)
日本航空123便 B747SR-46(JA8119)
羽田発伊丹行き
日本 群馬県上野村 御巣鷹の尾根
36.0005N, 138.4138E
乗員15人と乗客509人の524人中、乗員14人乗客506人の520人死亡。乗員1人乗客3人の4人生存
 しりもち事故後のボーイング社の不適切な修理によって飛行中に圧力隔壁が損壊、油圧を喪失して迷走飛行の末に墜落した。
 羽田空港を離陸して12分後、相模湾上空約23,900フィートで突然垂直尾翼の上8割強が破壊され、4系統の油圧も全て喪失し、昇降舵や補助翼が操作できなくなった。パイロットは右に旋回し、エンジン出力で機体をコントロールするなど懸命な操縦によって羽田へ引き返そうするが、山梨県大月市上空付近から山岳地帯へ迷走し、約32分不安定な飛行の末に群馬県と長野県の県境に近い山腹へ墜落した。墜落時に機体は急降下とフルスロットルのため時速約640キロに達し、機首側は原型を留めないほどに大破したが、胴体後部では山の尾根と平行に近い角度で着地し、尾根を滑り落ちることでゆっくり減速したため4人が生存できた。
 原因となった垂直尾翼の破壊は、以前の事故の際に修理ミスがあったため。事故機は1978年6月2日に伊丹空港で着陸時に尻もち事故を起こして中破、製造元のボーイング社で修理を行ったが、後部圧力隔壁の修理中に作業ミスがあったとされる。
 単独機の事故としては犠牲者数で世界最悪の航空事故となり、日本国内でも最悪の航空機事故である。事故機は日本で登録されたボーイング747ジャンボで唯一事故抹消となった。
#3-3「御巣鷹の尾根」、#番外編1-2「3つの空域」
3ニューデリー空中衝突事故:Charkhi Dadri mid-air collision
1996年11月12日18時40分頃 (UTC+0530)
サウジアラビア航空763便 B747-168B(HZ-A1H)
インド・ニューデリー発、同国ダーラン経由、サウジアラビア・ジッダ行き
×
カザフスタン航空1907便 Il-76TD(HZ-AIH)
カザフスタン・シムケント発、インド・ニューデリー行き
インド ニューデリー近郊、チャルキダドリの上空14,000フィート
28.6N, 76.2739E
サウジ機の乗員23人乗客289人の312人と、カザフ機の乗員10人乗客27人の37人、合計349人全員死亡
 カザフ機が管制の英語の指示を理解できずにサウジ機と同じ高度に侵入、雲の中で空中衝突した。
 ニューデリーを離陸したサウジ機は管制より高度14,000フィートへの上昇を指示され、指示に従って14,000フィートを維持して飛行していた。一方ニューデリーへ着陸しようとするカザフ機は高度23,000フィートから15,000フィートへ降下を指示された。この時管制は、12時の方向よりサウジ機のボーイング747が接近しているため、視認したら管制へ報告するよう指示した。しかしカザフ機は15,000フィートを下回っても水平飛行へ移行しなかった。その結果、上空14,090フィートでカザフ機の左翼がサウジ機の左翼及び胴体後部に衝突した。サウジ機は空中分解して墜落、カザフ機は衝突の直前に気づいて上昇しようとフルスロットルにしていたため、約10秒間上昇して15,700フィートに達したところで失速して墜落した。
 カザフ機の機長・副操縦士・航空機関士・航空士は英語をよく理解しいなかったため、「15,000フィートにサウジ機がいるため14,000フィートを飛行する」と誤った把握をしてしまい、通信使は管制の警告を通訳していなかったため、機長は衝突の3秒前まで誤りに気付かなかった。また両機とも空中衝突防止装置(TCAS)を装備していなかった。
 犠牲者数で世界最悪の空中衝突事故。
#6-4「サウジアラビア航空763便」
4トルコ航空DC-10パリ墜落事故:Turkish Airlines Flight 981
1974年3月3日12時40分頃(UTC+0100)
トルコ航空981便 DC-10-10(TC-JAV)
トルコ・イスタンブール発、フランス・パリ経由、イギリス・ロンドン行き
フランス オワーズ県エルムノンヴィル
49.085N, 2.38E
乗員12人乗客334人の346人全員死亡
 設計ミスとダグラス社が修理したと書類偽装したことが原因で、飛行中に貨物室ドアが与圧に耐えられず吹き飛んだ。
 パリを離陸し上昇中、約11,500フィートに達した時、ロックが不完全だった後部貨物室の左側ドアが与圧に耐え切れずに吹き飛び急減圧が発生した。衝撃で客室の床と水平尾翼が破壊されて乗客6人が吸いだされ、床下のコントロールケーブルが切断されたため方向舵・昇降舵・第2エンジンの制御が出来きず操縦不能に陥った。1分17秒後、時速約800キロで森に墜落した。犠牲者には48人の日本人が含まれており、その大半が金融機関の就職内定者の欧州研修ツアーの参加者だった。
 原因の貨物室ドアは強引に閉めると内部パーツが破損して、外見ではロックしていても半ドア状態であり、そのまま飛行すると最悪ドアが吹き飛び客室床が陥没するという重大な欠陥があった。ダグラス社は1号機ロールアウト前に認識していたが、設計変更を行わず簡単な改修だけで販売を行っていた。事故機は書類上では製作時に改修済みとなっていたが、残骸を調査すると実際には改修されておらず、ダグラス社が偽装していたとされた。この事故の1年9ヶ月前にアメリカン航空でこのことが原因の事故が発生していたが、この時は緊急着陸に成功していた。
 ワイドボディ機としてはイースタン航空401便に次ぐ2度目の全損死亡事故であり、当時犠牲者数で世界最悪の航空事故となった。事故機のDC-10は元々全日空のオーダーで制作されたが、ロッキードL-1011トライスター発注によりキャンセルされ、トルコ航空に破格で売却された機体だった。
#5-3「キャビンの穴」
5インド航空182便爆破事件:Air India Flight 182
1985年6月23日7時15分頃 (UTC+0100DST)
インド航空182便 B747-237B(VT-EFO)、機体愛称"Emperor Kanishka"
カナダ・モントリオール発、イギリス・ロンドン経由、インド・ボンベイ(現:ムンバイ)行き
アイルランド・コーク沖約175キロの大西洋
51.03N, 12.49W
乗員22人乗客307人の329人死全員亡
 アイルランド沖を飛行中に、シーク教徒が持ち込んだ爆弾が貨物室で爆発、空中分解して墜落した。
 残骸は約2,200メートルの深海に沈んだため、回収できたのはブラックボックスと僅かな残骸、131人の遺体だけであった。
 1980年代のインドでは主流のヒンドゥー教徒と少数派のシーク教徒の対立が激化しており、1984年にはインド政府軍がシーク教徒の聖地を襲撃する「黄金寺院事件」が発生していた。その報復として、2つの航空爆弾テロと、当時のインド首相のインディラ・ガンディー暗殺を行った。犯人は手荷物を預けておきながら実際には搭乗していなかったが、トロント空港は搭乗していない乗客の荷物を搭載させるミスを犯していた。更にトロント空港のX線探査機が故障していたため手作業で検査を行っていたが、操作が悪かったため見過ごしてしまった。
 爆破テロの約1時間前、6月23日15時20分(UTC+0900)頃、日本・成田空港でカナダ太平洋航空3便からエア・インディア301便に積み替えようとした手荷物が爆発し、2人死亡4人負傷する成田空港手荷物爆発事件が発生していた。この事件の時限爆弾は時間設定ミス(夏時間を考慮していなかった)がなければエア・インディア301便で爆破テロを起こしていた。両事件ともエア・インディアを狙ったテロであった。
6サウジアラビア航空163便火災事故:Saudia Flight 163
1980年8月19日22時頃(UTC+0300)
サウジアラビア航空163便 ロッキード L-1011 トライスター200(HZ-AHK)
パキスタンカラチ発、サウジアラビア・リヤド経由、同国ジッダ行き
サウジアラビア リヤド リヤド空港
24.4242N, 46.4337E
乗員14人乗客287人の301人全員死亡
 貨物室火災が発生し緊急着陸に成功したものの、乗員の対応の遅れと地上救援隊の練度不足により救助が間に合わなかった。
 リヤド空港を離陸後に貨物室内で煙を探知していたが、対応について4分も費やし、着陸に際しても本来であれば最短距離で停止させて緊急脱出させるべき所を、通常着陸し誘導路までタキシング、更に機体停止後3分間もエンジンを稼働させていたため、救助隊が接近できず客室乗務員も緊急脱出させられなかった。エンジン停止後も救助隊の知識不足のため、ドアを開けられたのはエンジン停止から23分後であり、乗客は全員、酸欠と有毒ガス吸引と火傷のため機体前方で折り重なるように息絶えていた。
7マレーシア航空17便撃墜事件:Malaysia Airlines Flight 17
2014年7月17日17時45分頃(UTC+0300DST)
マレーシア航空17便 B777-2H6ER(9M-MRD)
オランダ・アムステルダム発、マレーシア・クアラルンプール行き
ウクライナ ドネツィク州グラボヴォ村
48.0756N, 38.3919E
乗員15人乗客283人の298人全員死亡
 ロシアとの国境から約50キロ西のウクライナ東部上空で、対地空ミサイルによって撃墜された。地元の民兵にAn-26輸送機と誤認されて攻撃されたと推測される。
 ウクライナ東部はウクライナ騒乱によって情勢が悪化しているためウクライナ上空通過を避ける航空会社もある中で、マレーシア航空機はウクライナ東部の上空約33,000フィートを通過しようとした。
8イラン航空655便撃墜事件:Iran Air Flight 655
1988年7月3日9時54分頃(UTC+0330)
イラン航空655便 A300-B2(EP-IBU)
イラン・バンダルアバス発、アラブ首長国連邦・ドバイ行き
イラン領海のホルムズ海峡上空
26.4006N, 56.0241E
乗員15人乗客275人の290人全員死亡
 アメリカ海軍のイージス艦「ヴィンセンス」が、イラン航空のA300旅客機をイラン空軍のF14戦闘機と誤認、ミサイルで撃墜した。
 当時はイラン・イラク戦争が続いており、ホルムズ海峡を通過する第3国の民間タンカーなども攻撃の対象になっていたため、アメリカ海軍は警護を兼ねて現場付近で軍事演習を行っていた。それに対してイランは連日F14戦闘機を発進させて挑発した。イラン航空機は30分遅れでバンダレ・アッバース空港を離陸したが、この空港は軍民共用空港でF14戦闘機も配備されていた。アメリカ海軍は655便の信号を受信していたが、655便離陸時に駐機していたF14戦闘機の信号も受信。航空管制を傍聴せずエアライン時刻表を参照していたため遅れていた655便とは分からず、接近する航空機が旅客機とは断定できなかった。また同じ頃、装弾不良をきっかけとした船内の混乱によりイラン領海に侵入、攻撃される恐れが生じた。アメリカ海軍は接近する航空機に対し軍事遭難信号 (MAD) と国際航空遭難信号 (IAD) により警告したが、イラン航空機にはMAD受信機は装備されておらず、IAD信号は漫然とした内容だったため捉えられなかった。9時54分、約16キロまで接近した高度約13,500フィートを飛行する「目標」に対しSM-2ブロックUミサイルを2発発射、少なくとも1発が命中し撃墜した。
 1996年2月22日にアメリカは撃墜による被害者に対する補償6180万ドルの支払いに同意し、自国の非を事実上認めた。ただし航空機本体の補償は未だに行われていない。
#2-6「誤認」
92003年のイラン革命防衛隊Il-76MD墜落事故:2003 Iran Ilyushin Il-76 crash
2003年2月19日(UTC+0330)
イラン革命防衛隊 Il-76MD(15-2280)
イラン ケルマーン近郊
乗員乗客275人全員死亡
 パイロットの操作ミスと悪天候によって浅瀬へ水上墜落するCFIT。
 ケルマーン国際空港へ着陸アプローチしていたが、南東約35キロメートルの山岳地帯は強風と濃霧が立ち込める悪条件だった。
 犠牲者数でイラン史上最悪の事故となり、Il-76の事故としても死者が最大の事故。乗員は全員イラン革命防衛隊の隊員だった。
10アメリカン航空191便墜落事故:American Airlines Flight 191
1979年5月25日15時4分頃(UTC-0500DST)
アメリカン航空191便 DC-10-10(N110AA)
イリノイ州シカゴ発、カリフォルニア州ロサンゼルス行き
アメリカ イリノイ州シカゴ オヘア空港近隣42.0035N, 87.5548W
乗員13人乗客258人の271人全員と、地上の2人の273人死亡。地上の2人が負傷
 不適切な整備でパイロン固定ピンが離陸時に破損したため、左翼の第1エンジンが落下し、そのまま失速墜落した。
 アメリカン航空では整備を行う際、本来ならエンジンを取り外してからパイロンを外すべき所を、簡略化のためにパイロンごとフォークリフトで支えて外す手法を取っていた。更に事故機の整備ではフォークリフトの操作がうまく行かず、パイロンに無理な力が掛かっていた。その為金属疲労が発生し、離陸時の負荷が掛かった時にエンジンがパイロンごと脱落した。エンジン脱落により油圧と電源を喪失し、左翼のみ失速した。電源喪失により失速警報・スティックシェイカー・スラットディスアグリー警報(スラットの左右非対称を伝える装置)や計器類も全て動作しなかった。191便は約600フィートまで上昇し、左に112度も傾いて離陸から34秒後に約4,600フィート離れた空き地に墜落爆発した。
 同時多発テロ事件を除いて米国内で発生した犠牲者数で最悪の事故。DC-10は貨物室のドアに欠陥があった(参照:トルコ航空パリ墜落事故)ため、当初はそれが疑われた。
 事故後アメリカ政府はDC-10の耐空証明を37日間取り消した。そのためDC-10のセールスに大きな損害が発生した。
#10-7「アメリカン航空191便」
11パンアメリカン航空103便爆破事件(ロッカビー事件、パンナム機爆破事件):Pan Am Flight 103
1988年12月21日19時3分頃(UTC+0000)
パンアメリカン航空103便 B747-121A(N739PA)
ドイツ・フランクフルト発、イギリス・ロンドン経由、米国ニューヨーク州ニューヨーク行き
イギリス スコットランド・ダンフリーズアンドガロウェイ州ロッカビー村の上空約31,000フィート
55.0655N, 3.2130W
乗員16人乗客243人の259人全員と、地上の11人の270人死亡、地上の5人が負傷
 リビア政府による爆破テロ。前部貨物室のコンテナに収められていた茶色のサムソナイト社製スーツケース内の日本製ラジオカセットにプラスチック爆弾が積載され、巡航中に爆発した。爆発により機体は空中分解し、両翼や胴体中央部分などがロッカビー村の集落に落下して爆発した。
 アメリカの国家運輸安全委員(NTSB)や中央情報局(CIA)、連邦捜査局(FBI)などが3年掛かりで調査し、スーツケースの所有者や足取りを調べあげた。
 スーツケースを持ち込んだ男はアブドゥルバーシト・マグラヒーとアル=アミーン・ハリーファ・フヒーマの2人のリビア人。2人はリビアの情報機関に所属しており、1986年のリビア爆撃に対する報復として事件を起こした。
 イギリス国内で発生した犠牲者数で最悪の事故。パンナム側も乗客と荷物の一致の原則の違反しており、責任を問われた。経営不振に陥っていたパンナムはこの事件以後更に経営が悪化し、1991年に経営破綻した。
#6-2「パンナム103便」
12大韓航空機撃墜事件:Korean Air Lines Flight 007
1983年9月1日3時39分頃(UTC+0900)
大韓航空007便
B747-230B(HL-7442)
米国ニューヨーク州ニューヨーク発、同国アラスカ州アンカレッジ経由、韓国・ソウル行き
サハリン南西部モネロン島沖のソ連(現:ロシア)領海の日本海
46.34N, 141.17E
乗員29人乗客240人の269人全員死亡
 ソビエト連邦領空を侵犯したためソ連の戦闘機に撃墜された。アンカレッジで給油後、北太平洋航路の最も北のルートを取るはずだったが、更にその北に航路を逸脱して飛行していた。カムチャツカ半島でソ連領空を侵犯しソ連の戦闘機が迎撃を試みるが失敗した。その後サハリンに接近したため再度ソ連の戦闘機Su-15TMが迎撃、警告射撃を行うが光跡が無い弾丸を使用したため大韓航空機は気づかなかった。そしてソ連の戦闘機がミサイル2発発射、大韓航空機の尾翼に命中し、方向舵制御ケーブル、油圧の4分の3を損傷し急減圧が発生した。約12分飛行を続けたが、遂に操縦不能に陥り海面へ墜落した。ソ連は大韓航空機を「アメリカのスパイ機」と判断しており、国際的な迎撃手順を踏まずに攻撃した。航路を逸れた原因は慣性航法装置の入力ミスや、自動操縦をヘディングモードにしたままでINSモードに戻し忘れたという説が主流だが乗員が死亡したため不明。撃墜時点で西に約500キロも航路を逸脱していた。
 事故機のブラックボックスや主要な残骸、遺体はソ連も回収していたがソ連が崩壊するまで10年以上隠匿していた。
#7-5「大韓航空007便」
13アメリカン航空587便墜落事故:American Airlines Flight 587
2001年11月12日9時17分頃(UTC-0500)
アメリカン航空587便 A300B4-605R(N14053)
米国ニューヨーク州ニューヨーク発、ドミニカ共和国・サントドミンゴ行き
アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク市クイーンズ区 ジョン・F・ケネディ国際空港近隣の住宅地
40.3438N, 73.5102W
乗員9人乗客251人の260人全員と、地上の5人の265人が死亡、地上の1人が負傷
 後方乱気流遭遇時の方向舵過剰操作によって垂直尾翼の折損し、住宅街に墜落した。
 離陸後上昇中に、前方を飛行する日本航空のボーイング747の後方乱気流に巻き込まれた。その時副操縦士が過剰に方向舵を操作したため、横向きに強い力がかかり垂直尾翼が脱落した。A300では軽くペダルを踏むだけで大きく操作出来るようになっていたが、アメリカン航空はペダルを強く踏み込むよう訓練を行っていた。強い操作と後方乱気流の中で横向きの力に垂直尾翼が耐えられなかった。
 この事故は同時多発テロ事件から2ヶ月後に発生したため、再びテロが起きたのではないかと最高度の厳戒態勢が取られた。
14中華航空140便墜落事故:China Airlines Flight 140
1994年4月26日20時16分頃(UTC+0900)
中華航空(チャイナエアライン)140便 A300B4-622R(B-1816)
台湾・台北発、日本・名古屋空港(当時)行き
日本 愛知県小牧市 名古屋空港(現:名古屋飛行場)
35.2453N, 136.9323E
乗員15人乗客256人の271人中、乗員15人乗客249人の264人死亡、乗客7人が生存
 名古屋空港へ着陸アプローチ中、自動操縦状態のまま着陸を強行して失速、滑走路脇に墜落炎上した。
 計器着陸装置による着陸アプローチ(ILSアプローチ)を手動操縦で行っていたが、副操縦士が謝ってスラストレバーのゴーレバーを引っ掛けたため推力が増大、降下ルートを外れ上昇し始めた。オートスラストを解除してそのまま着陸を試みたが、着陸復航モードを解除しないまま自動操縦をオンにして、着陸復航しようとする自動操縦に逆らって強引に機首下げした。それに対してオートパイロットは水平安定板を機首上げ方向に最大の12.3度まで作動させ、失速防止装置も作動しフルスロットル状態にした。回復不能な機首上げ状態に陥り、失速状態のまま墜落した。日本の運輸省(現在の国土交通省)航空事故調査委員会(現在の運輸安全委員会)の報告書では、パイロットは不完熟によって誤操作したことを指摘するとともに、エアバスのシステム設計におけるフェイルセーフ思想の不足を示唆している。
 エアバスA300としては2度目、A300B4-600Rとしては初めての全損死亡事故で、「華航四年大元」事故の1つ。事故の後に中華航空は日本国内での呼称を「チャイナエアライン」に変更した。
15ナイジェリア航空2120便墜落事故:Nigeria Airways Flight 2120
1991年11月7日(UTC+0300)
ナイジェリア航空2120便 DC-8-61(C-GMXQ)
サウジアラビア・ジッダ発、ナイジェリア・ソコト行き
機体はカナダ・ノリスエアから乗員ごとウエットリース
サウジアラビア ジッダ キング・アブドゥルアズィーズ国際空港
21.4012N, 39.0902E
乗員14人乗客247人の261人全員死亡
 タイヤの空気圧が低い状態で離陸、過熱した車輪を格納したことによる火災。
 離陸滑走中に異音を感じたが離陸決心速度(V1)を超えていたため離陸した。離陸後にランディングギアを収納したが、直後に与圧システムに異常が発生した。空港に引き返そうとしたが、管制側のミスで誘導に手間取り、その間に機内火災が発生し操縦が困難となった。パイロットは何とか滑走路を確認して緊急着陸を試みたが、滑走路の手前2,875メートルに墜落して爆破炎上した。
 DC-8で最も犠牲者の多い事故。
#9-10「ナイジェリア航空2120便」
16ニュージーランド航空901便エレバス山墜落事故:Air New Zealand Flight 901
1979年11月28日12時49分頃(UTC+1300DST)
ニュージーランド航空901便 DC-10-30(ZK-NZP)

ニュージーランド・オークランド発、南極のマクナード基地上空経由、ニュージーランド・クライストチャーチ行きの南極観光便
南極 ロス島のエレバス山
77.2530S, 167.2730E
乗員20人乗客237人の257人全員死亡
 地上職員による慣性航法装置通過ポイントの勝手な変更とホワイトアウトによるCFIT。
 本来の飛行計画ではマクナード基地上空を通過するはずだったが、入力されたマクナード基地の座標が西に約48キロズレていたため、パイロットにも誤った情報が伝わり、それに従って訓練が行われた。事故2週間前にニュージーランド航空は誤りに気付いたが実際の飛行計画が修正されたのは事故当日であり、パイロットにはそのことが伝えられていなかった。そのまま悪天候の中を南極に向かって飛行していたが、パイロットが雲の切れ目を見つけ規定よりも早く降下を開始した。パイロットは平らな棚氷しか無いと信じていたが、実際には標高3,794メートルのエレバス山がそびえ立っており、ホワイトアウトの為パイロットは高度の異常に気付けなかった。墜落の直前に対地接近警報装置(GPWS)が作動したが間に合わず衝突した。南極観光飛行は事故機が4回目であったが、3回目までの便が無事飛行できたのは有視界飛行であったため。
 南極で初めて発生した航空事故であり、犠牲者数でニュージーランド史上最悪の事故となった。南極での遺体収容は困難なためそのまま残置する方針が一時上がった、24人の犠牲者を出した日本の強い圧力により遺体収容が行われた。
17アロー航空1285便墜落事故(英語版):Arrow Air Flight 1285
1985年12月12日6時46分頃(UTC-0330)
アロー航空1285便 DC-8-63CF(N950JW)
エジプト・カイロ発、ドイツ・ボン、カナダ・ガンダー経由、米国ケンタッキー州フォートキャンベル行き
アメリカ空軍のチャーター機
カナダ ニューファンドランド州(現:ニューファンドランド・ラブラドール州)ガンダー
ガンダー国際空港すぐのギャンダー湖
48.5443N, 54.3427W
乗員8人乗客248人の256人全員死亡
 ガンダー空港の離陸時に失速して、滑走路から約800メートル地点に墜落した。主翼前方の上側に着氷して揚力が得にくくなっていたこと、貨物積載量の見積が甘く実際の積載量より約6,400キログラム軽く計算していたこと、その為離陸速度の計算でも甘い数値が算出されていたことなどが原因として挙げられているが、断定までは至らなかった。
 乗客はアメリカ軍空挺部隊の隊員で、エジプト・シナイ半島での平和維持活動のクリスマス休暇の帰路であった。
#9-5「アロー航空1285便」
18マレーシア航空370便:Malaysia Airlines Flight 370
2014年3月8日1時30分頃(UTC+0800)
マレーシア航空370便 B777-2H6ER(9M-MRO)
マレーシア・クアラルンプール発、中国・北京行き
不明。タイランド湾?インド洋南部?
乗員12人乗客227人の239人全員認定死亡(2015年1月29日マレーシア政府発表)
失踪事件。管制がマレーシアからベトナムに移行する際に、マレーシア管制と通信を終えた後にベトナム管制への連絡が無く、それ以来行方が分からなくなった。
1年以上が経過した2015年7月29日、マレーシアから直線距離で約6,000キロメートル離れたフランス領レユニオンにて370便の残骸が発見された。
19ガルーダ・インドネシア航空152便墜落事故 :Garuda Indonesia Flight 152
1997年9月26日13時34分頃(UTC+0700)
ガルーダ・インドネシア航空152便 A300B4-220(PK-GAI)
ジャカルタ発スマトラ島メダン行き
インドネシア 北スマトラ州メダン郊外のパンクール・バトゥ村付近の丘陵地帯
3,1553N, 98.4048E
乗員12人乗客222人の234人全員死亡
 メダン・ポロニア空港へ着陸アプローチ中に丘に墜落するCFIT。
 当時現場周辺では野焼きの煙害で視界が約600メートル程度であり、パイロットは空港管制へ着陸誘導を要請した。しかし管制官は右旋回するべき所を左旋回と指示し、パイロットも指示された2,000フィートよりも機体を降下させていた。その結果、空港から約32キロ南の標高1,500フィートの丘陵地帯へ墜落した。
 インドネシア国内で発生した最も犠牲者の多い事故。
20トランスワールド航空800便墜落事故:Trans World Airlines Flight 800
1996年7月17日20時19分頃(UTC-0400DST)
トランスワールド航空800便 B747-131(N93119)

米国ニューヨーク州ニューヨーク発、フランス・パリ経由、イタリア・ローマ行き
アメリカ合衆国 ニューヨーク州ロングアイランド沖の大西洋
40.39N, 72.38W
乗員18人乗客212人の230人全員死亡
 老朽化で燃料タンク内の電気配線がショートし空中爆発した。
 事故機の中央燃料タンクには13,000ガロンの容量のうち約50ガロンしか燃料が入っておらず、夏場で出発が約1時間遅れる間エアコンをフル稼働していたため、空調装置の真下にある中央燃料タンクでは燃料が気化しやすい状態であった。気化した燃料がタンク内の電気配線のショートにより引火したと推測される。事故機は就航から25年経った経年機であり、電気配線の腐食がショートの原因であると推測された。
 爆発によって機体下部に大きな穴が開き、亀裂が機体を1周して操縦席側が分離落下、残された機体後部は約10秒間急上昇したが、エンジンが停止して降下、左翼を分離しながら墜落した。
 事故発生はアトランタオリンピック直前で、当初はテロが疑われ、サウジアラビアの新聞社にはイスラム原理主義を名乗る悪戯の犯行声明が届いた。事故調査では機体残骸の95%を海底から回収して実際に組み立てるという、米国の航空事故調査でも他に例を見ないほどの労力と費用が費やされた。トランスワールド航空は事故当時経営不振に陥っていたが、この事故は倒産する大きな要因となった。
21スイス航空111便墜落事故:Swissair Flight 111
1998年9月2日22時31分頃(UTC-0300DST)
スイス航空111便 MD-11(HB-IWF)
米国ニューヨーク州ニューヨーク発、スイス・ジュネーブ行き
カナダ ノバスコシア州ハリファックス沖の大西洋
44.2433N, 63.5825W
乗員14人乗客215人の229人全員死亡
 コックピットの天井部分の電気配線で発生した火災により操縦不能に陥った末に墜落した。
 パイロットがコックピットで臭気を感じたが、目視で確認できず空調の不具合だと判断した。その3分後にコックピット内に煙が立ち込め始めた為、国際緊急信号"Pan Pan Pan"を発し、カナダのハリファックス空港へ向かった。しかし降下と燃料投棄の為に大西洋上へ出たところで、急速に進んだ火災の為制御機器が次々ダウンし、操縦不能に陥り墜落した。ブラックボックスも墜落の約5分前に動作を停止していた。
 火災の原因は、機首部の天井裏でビジネスクラス向けのエンターテイメント機器の電気配線が不十分でアークが発生したため。、周辺の絶縁被膜材が可燃性であったために断熱材にも燃え広がった。この部分にはアーク対策も火災探知機・警報装置が無くパイロットの火災に対する認識が遅れた。火災が広がるに連れてコックピット機器に繋がる配線やブラックボックスにつながる配線も焼損し、盲目飛行に陥った。
 スイス航空史上最も犠牲者の多い事故となり、破産の一因になった。
#1-3「機内火災」
22大韓航空801便墜落事故:Korean Air Flight 801
1997年8月6日1時42分頃(UTC+1000)
大韓航空801便 B747-3B5(HL7468)
韓国・ソウル発、米国領グアム行き
アメリカ合衆国 グアム島 グアム・アナガ空港から約5キロのニミッツ・ヒル
13.2735N, 144.4392E
乗員23人乗客231人の254人中、乗員22人乗客206人の228人死亡、乗員1人乗客25人の26人生存
 空港への着陸アプローチ中に丘に墜落するCFIT。
 当時空港の計器着陸装置(ILS)はシステム更新のため停止されており、超短波全方向式無線標識と距離測定装置を用いた着陸(VOR/DMEアプローチ)で着陸を試みていた。しかし機長は自機の位置を正しく認識しておらず、十分な着陸態勢も取らなかったために最低飛行高度を割り込み、直前に地上に接近している事に気づきゴーアラウンドを行ったが、ボーイング747の巨大な機体をすぐには持ち上げることが出来ず、丘に墜落した。機長が予定されていた航路を変更されて過労気味だったこと、大韓航空に蔓延る絶対的上下関係のため副操縦士や航空機関士が助言できなかったこと、大韓航空の訓練が不十分だったことと、空港のシステムの不適切な管理が指摘された。
#4-8「着陸ミスと事故原因」
22エールフランス447便墜落事故:Air France Flight 447
2009年6月1日2時15分頃(UTC+0000)
エールフランス447便 A330-203(F-GZCP)
ブラジル・リオデジャネイロ発、フランス・パリ行き
ブラジルのフェルナンド・デ・ノローニャ沖約360キロの大西洋
3.0357N, 30.3342W
乗員12人乗客216人の228人全員死亡
 ピトー管に着氷が生じ対気速度計に異常が発生したことと、それに対するパイロットの不手際が原因。
 2本のピトー管の片方が着氷したため、2つの対気速度計の数値が一致しなくなったため、自動操縦が行えなくなり、手動操縦に切替えた。しかし切替えた直後に失速警報が作動した。この時機長は休憩中で、経験の浅い副操縦士が機長席に座っていた。副操縦士は失速警報を聞き、本来機首を下げるべきところを何故か操縦桿を引いてフルスロットルとした。仰角が増し続け、機長が戻った時には完全に失速して海面へ墜落した。エアバス機の操縦桿はボーイング機と異なり操作が同期しないため、互いの操作が理解できなかったことも遠因と言われる。
 エールフランス史上で犠牲者数が最も多い事故となり、A330で初めての商用運用中の全損死亡事故である。事故捜索は難航し、ブラックボックスは事故から2年近く経った2011年5月に海底約4,000メートルで発見された。ブラックボックスが発見されるまで、電気系統異常の自動通知があったことや、事故現場付近で当時乱気流が発生していたことなどが原因ではないかと当初は疑われていた。
#10-13「エール・フランス447便」
24チャイナエアライン611便空中分解事故:China Airlines Flight 611
2002年5月25日15時31分頃(UTC+0800)
チャイナエアライン611便 B747-209B(B-18255)
台湾・台北発、香港行き
台湾・澎湖諸島沖北東約18キロの台湾海峡上空約35,000フィート
23.5923N, 119.4045E
乗員19人乗客206人の225人全員死亡
 しりもち事故後のチャイナエアラインによる機体外装の不適切な修理による金属疲労が原因で巡航中に大きく4つに空中分解した。
 事故機は1980年2月7日にイギリス領香港(当時)で離陸時に機体後部を滑走路に接触させる尻もち事故を起こしていた。修理の際に後部貨物室付近にパッチを行ったが、塗料が流れ込む隙間があるほど緩く固定されていた。その為水などの液体や、事故機の後部が喫煙席であったことからタバコのヤニが侵入して腐食し、同時に十分な強度を持たなかったと推測される。機体はアルミニウム合金製であるが、パッチの中にはステンレススチールのパッチもあり、2種類の金属が混用されることで腐食の原因になったとも推測される。残骸には金属疲労による数センチの亀裂が見つかったが、パッチを被せていたため目視点検では発見できなかった。
 「華航四年大元」事故の1つ。事故機は就航から22年8ヶ月、総飛行時間が64,000時間を超える経年機であった。翌月にオリエントタイ航空に売却する予定だったが、事故を受けオリエントタイ航空は機体売買契約を全てキャンセルした。
#6-1「チャイナエアライン611便」
25コガリムアビア9268便:Metrojet Flight 9268
2015年10月31日6時13分頃(UTC+0200)
コガリムアビア(メトロジェット)9268便 A321-231(EI-ETJ・アイルランド国籍)
エジプト・シャルム・エル・シェイク発、ロシア・サンクトペテルブルグ行き
エジプト・シナイ半島北部
乗員7人乗客217人の224人全員死亡
 ISILによる地上からの撃墜、機内での爆弾テロ、金属疲労、ジェット燃料の爆発などいくつかの説が主張されている。ロシアのプーチン大統領はテロ攻撃による撃墜と断定した。
ロシア・エジプト双方にとって犠牲者数で史上最悪の航空事故となった。犠牲者のほとんどは紅海でリゾートを過ごして帰国する途中のロシア人。
26ラウダ航空004便墜落事故:Lauda Air Flight 004
1991年5月26日23時31分頃(UTC+0700)
ラウダ航空004便 B767-3Z9ER(OE-LAV)
イギリス領香港(当時)発、タイ・バンコク経由、オーストリア・ウィーン行き
タイ スパンブリー県ウエィンバンノンの熱帯雨林
14.57N, 99.27E
乗員10人乗客213人の223人全員死亡
 エンジンの故障により飛行中に第1エンジンが逆噴射したため、操縦不能に陥り空中分解、バンコクから北西に約174キロの熱帯雨林に墜落した。
 バンコクを離陸して約5分後に自動的に逆噴射がかかるという警報が表示されたため、パイロットは誤作動を疑いマニュアルを参照したが「対応は不要」と記載されていたため、特に対処を行わなかった。しかしその10分後に本当に第1エンジンが逆噴射し、激しい振動と過剰な修正操作、速度超過などによって空中分解した。事故報告書では予期せぬ事態で最悪の結果を避けられなかったとされた。
 ボーイング767として初めての全損事故であり、現在でも最も犠牲者の多い事故である。タイ国内でも最悪の事故である。事故後ボーイング社では737, 757, 767の逆噴射装置を改修し、新造機には改良型の油圧装置を搭載するようになった。
27エジプト航空990便墜落事故:EgyptAir Flight 990
1999年10月31日1時50分頃(UTC-0500)
エジプト航空990便 B767-366ER(SU-GAP)
米国・カリフォルニア州ロサンゼルス発、同国ニューヨーク州ニューヨーク経由、エジプト・カイロ行き
アメリカ合衆国・マサチューセッツ州ナンタケット島沖約96キロの大西洋
40.2051N, 69.4524W
乗員14人乗客203人の217人全員死亡
 副操縦士の自殺行為。
 順調に飛行していたが、機長が席を外した際に副操縦士がエンジン出力を下げ操縦桿を倒し、高度約33,000フィートからほぼ垂直に急降下させた。コックピットボイスレコーダーには副操縦士がアラビア語で「神だけが頼りだ(Tawakkalt Aia Allah.)」と言っているのが記録されており、自殺目的であると推測された。
 墜落前に機長はコックピットに戻り操縦桿を戻そうとしたが、副操縦士が応じることは無く、急降下中にエンジンが落下したため墜落を防げなかった。
 エジプト側は事故機の昇降舵の不具合と主張したが、最終的に自殺目的と結論づけられた。副操縦士の自殺の動機は、機長に対する個人的な恨みであると証言がある。
28インド航空855便墜落事故:Air India Flight 855
1978年1月1日20時15分頃(UTC+0530)
エア・インディア855便 B747-237B(VT-EBD) 愛称"Emperor Ashoka"
インド・ボンベイ(現:ムンバイ)発、アラブ首長国連邦・ドバイ行き
インド・マハーラーシュトラ州バンドラ沖約3キロのアラビア海
18.975N, 72.1592E
乗員23人乗客190人の213人全員死亡
 人工水平機が故障した際に機長が不用意な操作を行い、回復不能なまでに機体を傾けた。
 人工水平機が故障して、左旋回した後に既に水平飛行であったにも関わらず、人工水平機は右に傾いていると表示していた。それに従い機長は回復操作を続けたが、機体のバンク角が90度を越えて回復不能に陥った。
 機長は予備の人工水平機を参照せず、副操縦士と航空機関士は異常に気付いていたらしいが助言することは無かった。
29チャイナエアライン676便墜落事故:China Airlines Flight 676
1998年2月16日20時9分頃(UTC+0800)
チャイナエアライン676便 A300-622R(B-1814)
インドネシア・バリ島デンパサール発、台湾・台北行き
台湾 台北市 中正国際空港(現:台湾桃園国際空港)付近
25.0915N, 121.2305E
乗員14人乗客182人の196人全員と、地上の7人の203人が死亡
 着陸許可を受け自動操縦を解除したが、異常な飛行に陥ったまま着陸を強行し失敗した。小雨の中計器着陸装置・ 距離測定装置による着陸(ILS/DMEアプローチ)を使用して滑走路に着陸アプローチ中、視界が悪く着陸復航を試みるため自動操縦を解除した。直後に機首が大きく上がり機体が上昇、一方で速度は減速する異常な状態に陥った。そのまま着陸復航を行うおうとしたが、機首ピッチ42.7度・速度は45ノットの失速状態に陥って、滑走路を超えた先の電柱や高速道路に衝突。横滑りしながら民家や工場を巻き込んで墜落、爆発炎上した。
 この事故は4年前に名古屋空港で発生した140便と同機種・酷似した状況であったため、チャイナエアラインは事故の教訓を活かすことが出来なかったと批判を受けた。また4年前の140便事故・本事故・4年後の611便事故を指してチャイナエアラインは4年毎に大事故を起こす「華航四年大元」というジンクスがあると言われる。
30アエロフロート航空7425便墜落事故:Aeroflot Flight 7425
1985年7月10日23時45分頃(UTC+0500)
アエロフロート7425便
Tu154B-2(СССР-85311)

ソ連(現在のウズベキスタン国内)・タシュケント発、同国カルシ、ソ連(現在のロシア国内)・オレンブルグ経由、同国サンクトペテルブルク行き
ソビエト連邦(現在のウズベキスタン国内) ウチュクダク近郊
42.0924N, 63.3320E
乗員9人乗客191人の200人全員死亡
 高度約38,100フィートを失速ギリギリの約400キロで巡航中、機体の振動が発生したが乗務員はエンジンサージ(エンジン内の圧縮空気の逆流)が発生したと判断し、スラストレバーを使用し更に減速した。約290キロまで減速したため失速、きりもみ状態で墜落した。
 ブラックボックスは衝撃で破壊されていた。心理学的に要因を調査したところ、7425便のクルーは非常に疲労していたとされ、疲労から判断ミスが起きたと推測された。
 旧ソ連・ウズベキスタンで最も犠牲者の多い航空事故となり、Tu-154でも最も犠牲者の多い事故である。
31TAM航空3054便オーバーラン事故:TAM Airlines Flight 3054
2007年7月17日18時45分頃(UTC-0300)
TAM航空3054便 A320-233(PR-MBK)
ポルトアレグレ発サンパウロ行き
ブラジル サンパウロ州サンパウロ市 コンゴニャス国際空港
23.3711S, 46.3944W
乗員6人乗客181人の187人全員と、地上の12人の、199人が死亡。地上の数十人が負傷
 着陸時にオーバーランし、左方向に逸れて航空貨物倉庫とガソリンスタンドに衝突して激しく炎上した。
 事故機の第2エンジンの逆推力装置に故障が発生しており、雨天の中1940メートルの短い滑走路のコンゴニャス空港への着陸に対して機長がプレッシャーを感じていたため、手順を誤り第2エンジンを全開にしたため通常着陸の3倍近い速度でオーバーランした。着陸復航を試みようとしたとする説もある。
 ブラジル史上で最も犠牲者数の多い航空事故となった。
#9-2「タン航空3054便」
32マーティンエアー138便墜落事故(英語版):Martinair Flight 138
1974年12月4日22時15分頃(UTC+0530)
マーティンエアー138便 DC-8-55F(PH-MBH)
インドネシア・スラバヤ発、スリランカ・コロンボ経由、サウジアラビア・ジッダ行き
ガルーダ・インドネシア航空のチャーター機
スリランカ コロンボから東南東約70キロのマスケリア、アンジマライ山
6.5332N, 80.2926E
乗員9人乗客182人の191人全員死亡
 パイロットのルートミスによるCFIT。本来の航路より約50キロ空港に近い地点に達していると誤認したため、最低飛行高度を割り山腹へ墜落した。
この事故を契機に、オランダでは1976年時点で登録されている旅客機へ対地接近警報装置(GPWS)の設置を義務付けた。
33バージェン航空301便墜落事故:Birgen Air Flight 301
1996年2月6日23時47分頃(UTC-0400)
アラス・ナショナル航空301便 B757-225(TC-GEN)
ドミニカ共和国・プエルトプラタ発、カナダ・ガンダー、ドイツ・ベルリン経由、ドイツ・フランクフルト行き
機体はバージェン航空所有
ドミニカ共和国領海内、プエルト・プラタ沖の大西洋
19.9138N, 70.4055W
乗員13人乗客176人の189人全員死亡
 ピトー管が閉塞されていたため、夜間の海上で対気速度計が正常に動作しない盲目飛行の末に墜落した。
 離陸時に機長側と副操縦士側の対気速度計に大きな差があったが、そのまま離陸した。その後速度限界警報が作動したため、自動操縦の速度を落とすため機首揚げと推力抑制を行ったが、今度は失速警報とスティックシェイカーが作動した。失速警報と速度限界警報が作動する矛盾した状態にパイロットはパニックに陥り、何故か左右のエンジンの推力を非対称にして機首を上げたため本当に失速、高度約4,700フィートから海面に向かってほぼ自由落下し大破した。
 事故機は3本のピトー管にカバーを掛けないまま301便の運用まで20日間地上に駐機していた。そのため1本の内部にハチが巣を作ったと推測される。パイロットは対気速度計が正しくないにも関わらず離陸を強行し、正しくない機長側の対気速度計を最後まで信じて行動したため、最悪の結果となった。
 ボーイング757では犠牲者数の最も多い事故。
#5-8「速度計の警告サイン」
34アガディールの航空災害(英語版):Agadir air disaster
1975年8月3日4時30分頃(UTC+0000)
ロイヤル・ヨルダン航空 B707-321C(JY-AEE)
フランス・パリ発、モロッコ・イモウゼール行き
ロイヤル・エア・モロッコのチャーター機
モロッコ アガディールから北西約40キロのアトラス山脈
乗員7人乗客181人の188人全員死亡
 夜間であったことと、霧によるCFIT。濃霧の中を最低安全高度以下まで降下し、右主翼と第4エンジンから山に衝突して大破炎上した。事故機は管制から降下承認を受けたが、パイロットのコースエラーのため最低飛行高度以下のまま山岳地帯へ迷い込んだ。
 機体は高速で地上に衝突したため、最も大きい残骸でも1メートル四方に満たなかった。
 ボーリング707で最も犠牲者数の多い事故で、モロッコ国内での最悪の事故でもある。
35アイスランディック航空001便墜落事故:Icelandic Airlines Flight 001
1978年11月15日23時30分頃(UTC+0530)
アイスランディック航空001便 DC-8-63CF(TF-FLA)
サウジアラビア・ジッダ発、スリランカ・コロンボ経由、インドネシア・スラバヤ行き
ガルーダ・インドネシア航空のチャーター機
スリランカ コロンボ・バンダラナイケ国際空港近郊のカトゥナーヤカ
乗員13人乗客249人の262人中、乗員8人乗客176人の183人が死亡、乗員5人乗客78人の79人が生存
 雨と下降気流に襲われたことと、パイロットエラーによるCFIT。着陸アプローチ中にパイロットが高度計のチェックを怠りコールアウトもしなかったため、最低安全高度以下まで降下した。本来着陸復航を試みるべき時機を逃した。その後下降気流に襲われたため着陸復航を決断したが、間に合わず空港の約1.6キロ手前のココナツ畑に墜落して大破炎上した。電波高度計の設定ミスにより対地接近警報装置(GPWS)は作動しなかった。
 スリランカ側はパイロットミスが、アイスランドとアメリカ側は航空管制ミスが原因と主張。
36LOTポーランド航空5055便墜落事故:LOT Polish Airlines Flight 5055
1987年5月9日11時18分頃(UTC+0300DST)
LOTポーランド航空5055便 Il-62MK(SP-LBG)
ポーランド・ワルシャワ発、米国ニューヨーク州ニューヨーク行き
ポーランド ワルシャワから約5キロ南方のドンブロフカ地区カバティの森
乗員11人乗客172人の183人全員死亡
 エンジントラブルの為ワルシャワへ引き返し、オケチェ空港へ着陸アプローチ中、滑走路から約5キロの森林に墜落した。
 エンジントラブルは、第2エンジンのボールベアリングが摩耗し、高圧タービンが異常回転を起こして振動が発生、クランク軸が脱落して低圧タービンの中で破損、ファンも破損させた事。この破片が第1エンジンを破損させ、昇降舵ケーブルと電気系統を切断し、貨物室の火災を発生させた。パイロットは昇降舵のトリムタブを用いて何とか操縦しようとしたが、燃料投棄が出来なかったため最大着陸重量以下になるまで飛行しようとする間に墜落した。
 Il-62として犠牲者数が最も多い事故となった。
37イネックス・アドリア航空1308便墜落事故(英語版):Inex-Adria Aviopromet Flight 1308
1981年12月1日8時53分頃(UTC+0200)
イネックス・アドリア航空(現:アドリア航空)1381便 DC-9-82(YU-ANA)
ユーゴスラビア(現在のスロベニア国内)・リュブリャナ発、フランス・コルシカ島アジャクシオ行き
フランス コルシカ島サン・ピエトロ山
41.4515N, 8.5840E
乗員6人乗客173人整備士1人の181人全員死亡
CFIT。着陸アプローチ中に最低安全高度以下まで降下してサン・ピエトロ山に衝突した。パイロットと航空管制が状況を共有しなかったミスで、副操縦士の息子が操縦室に居たため注意散漫になっていた。
37アビアンカ航空011便墜落事故:Avianca Flight 011
1983年11月27日1時6分頃(UTC+0100)
アビアンカ航空011便 B747-283Bコンビ(HK-2910)
ドイツ・フランクフルト発、フランス・パリ、スペイン・マドリード、ベネズエラ・カラカス経由、コロンビア・ボゴタ行き
スペイン マドリード バラハス国際空港近郊
40.2412N, 3.2657W
乗員19人乗客173人の192人の内、乗員19人乗客162人の181人が死亡、乗客11人が生存
 機長の対地接近警報装置の無視と乗務員の連携不足、管制官の不正確なナビゲーションによるCFIT。副操縦士はアウターマーカーの通過高度3,282ftを2,382ftと読み間違えて機長に報告し、機長もチャートを確認せずにその高度を信用して降下を続けた。最低飛行高度を割り、読み上げた2,382フィートよりも低い2,249フィートまで降下した時、空港から約12キロのマドリード・マホラダ・デル・カンポ近郊の山に墜落した。直前に対地接近警報装置(GPWS)が作動したが、機長は無視していた。機長は誤った計器着陸装置(ILS)コースを捉え、更にそれさえ無視していた。
39ザグレブ空中衝突事故:1976 Zagreb mid-air collision
1976年9月10日11時15分頃(UTC+0300DST)
イネックス・アドリア航空(現:アドリア航空)550便 DC-9-31(YU-AJR)
ユーゴスラビア(現在のクロアチア国内)・スプリト発、西ドイツ・コローニュ行き
×
ブリティッシュ・エアウェイズ476便 トライデント3B(G-AWZT)
イギリス・ロンドン発、トルコ・イスタンブール行き
ユーゴスラビア(現在のクロアチア国内) ザグレブ郡の上空約33,000フィート
45.5333N, 16.1838E
アドリア機の乗員5人乗客108人の133人と、英国航空機の乗員9人乗客54人の63人の178人全員と、地上の1人の179人が死亡
 管制官が業務に忙殺されて誤った指示を出したのと、両機の見張り不足が原因。本来1管制区を2人で担当するべきであったが、アシスタント担当者が急病のために1人で担当することとなった。この時担当便の引き継ぎが円滑に行えず、アドリア機の管制が宙に浮いてしまった。繁忙期であったため管制官は忙殺される中、アドリア機に上昇を指示して衝突コースへ導いた。更に本来管制の指示は英語で行うべきだが、管制官はクロアチア語で行った。このため英国航空機側は衝突するまで気付けなかった。
 両機はザグレブから北東約24キロの上空約10,000メートルでアドリア機の左翼先端が英国航空機のコックピットを直撃する形で衝突。アドリア機は左翼・左エンジンを失って空中分解しながら墜落した。英国航空機は運航乗務員が衝撃で即死し、垂直安定板・方向舵などを喪失して墜落した。
 後に「空中大衝突」として映画化された。
40アエロフロート航空3352便事故:Aeroflot Flight 3352
1984年10月11日5時40分頃(UTC+0600DST:当時)
アエロフロート3352便 Tu154B-1(СССР-85243)
ソ連(現在のロシア国内)クラスノダール発、オムスク経由、ノヴォシビルスク行き
ソビエト連邦(現在のロシア国内) オムスク空港
54.5800N, 73.1830E
乗員9人乗客170人の179人中174人と、地上の4人の178人が死亡。乗員4人乗客1人の5人が生存
 夜明けの暗がりの滑走路上で旅客機と車両が衝突した。地上作業員が居眠りしていたため管制官に滑走路上で2台の路面乾燥車両が作業していることを伝えておらず、作業車両の警報灯も目がチカチカするという理由で消灯されていた。3352便は滑走路に着陸した際に何かあることに気づき右旋回したが間に合わなかった。
旧ソ連・ロシアではアエロフロート7452便に次いで2番目に犠牲者数の多い事故となった。
401979年ドニプロゼルジーンシク空中衝突事故:1979 Dniprodzerzhynsk mid-air collision
1979年8月11日13時35分頃(UTC+0300DST)
アエロフロート7880便 Tu-134AK(СССР-65735)
ソ連(現在のウズベキスタン国内)・タシケント発、ソ連(現在のウクライナ国内)・ドネツィク経由、ソ連(現在のベラルーシ国内)・ミンスク行き
×
アエロフロート・モルドバSSR(現:モルドバ航空)7628便 Tu-134A(СССР-65816)
ソ連(現在のロシア国内)・チェルビンスク発、ソ連(現在のモルドバ国内)・キシニョフ行き
ソビエト連邦(現在のウクライナ国内) ドニプロゼルジーンシク付近の上空約26,000フィート
48.3517N, 34.3921E
7880便の乗員7人乗客77人と7628便の乗員6人乗客88人の178人全員死亡
 管制官が高度差で衝突は起きないと過信したことによる空中衝突。管制は衝突回避のため30,000フィートへの上昇指示を7880便に出したが、曖昧な返答しか帰ってこなかった。管制官はそれが7880便が了解した旨の通信であると考えたが、それは別の航空機からの通信であった。
 その後上空約26,000フィートの雲の中で、7880便の右翼が7628便の胴体前部を切断し、7628便の尾翼が7880便に接触する形で衝突。7880便は急降下して墜落、7628便は空中分解しながら落下した。
42カノの航空災害(英語版):Kano air disaster
1973年1月22日9時30分頃(UTC+0100)
ロイヤル・ヨルダン航空チャーター機 B707-3D3C(JY-ADO)
ナイジェリア カノ州カノ カノ国際空港
乗員9人乗客200人の209人のうち、乗員6人乗客170人の176人が死亡。乗員3人乗客30人の33人が生存
 強風と霧で視界が悪化していたにも関わらず着陸を強行し失敗、滑走路の手前で接地(アンダーシュート)した。本来事故機はナイジェリア・ラゴス行きであったがラゴスの悪天候の為ダイバートしていた。
 救助された機長は処罰された。
 全日空機雫石衝突事故を上回る犠牲者数で、当時世界最悪の航空事故となった。
42スリナム航空764便墜落事故:Surinam Airways Flight 764
1989年6月7日4時27分頃(UTC-0300)
スリナム航空764便 DC-8-62(N1809E)
オランダ・アムステルダム発、スリナム・パラマリボ行き
スリナム パラマリボ ヨハン・ペンヘル国際空港付近
5.2712N, 55.1347W
乗員9人乗客178人の187人の内、乗員9人乗客167人の176人が死亡、11人が生存
 着陸アプローチ中に最低飛行高度を割り込むCFIT。対地接近警報装置(GPWS)も作動したが機長はこれを無視したため、右翼エンジンが高さ約25メートルの立木に接触、続いて右翼が別の木に接触、機体が反転して墜落した。事故当時は夜明け前、霧で視界が約900メートル、雲底高度が約400フィートと悪天候で、事故機は3度目の着陸アプローチ中であった。また空港では計器着陸装置(ILS)の運用を停止しており、管制から超短波全方向式無線標識と距離測定装置を用いた着陸(VOR/DMEアプローチ)の許可を受けていたが、機長は信頼性の低いILSを用いてでもILS/DMEアプローチを行おうとしていた。更に764便の燃料は残り僅かで、別空港へダイバートする余裕はなかった。
 操縦していた機長は定年退職後の66歳で、DC-8のライセンスを持っていなかった。
44アエロフロート217便墜落事故(英語版):Aeroflot Flight 217
1972年10月13日21時50分頃(UTC+0400DST:当時)
アエロフロート217便 Il-62(СССР-86671)
フランス・パリ発、ソ連・レニングラード(現在のロシア・カリーニングラード)経由、同国・モスクワ行き
ソビエト連邦(現在のロシア) モスクワ・シェレメーチエヴォ空港
56.0806N, 37.4100E
乗員10人乗客164人の174人全員死亡
 着陸失敗事故。高度約4,000フィートまでは正常な着陸アプローチを行っていたが、そこから降下率を上げて時速約600キロで地表に衝突した。
 原因は確定できなかったが、パイロットが何らかの理由で心神喪失になったと言われている。
 Il-62の事故としてはLOTポーランド5055便に次いで2番目に犠牲者数の多い事故。
45クバーナ航空9646便墜落事故:Cubana de Aviacion Flight 9646
1989年9月3日21時頃(UTC-0400DST)
アエロリアナ・クバーナ航空9646便 Il-62M(CU-T1281)
キューバ・ハバナ発、イタリア・ミラノ経由、西ドイツ・ケルン行き
キューバ ハバナ ホセ・マルティ国際空港近郊の住宅街
乗員11人乗客115人の126人全員と、地上の45人の171人が死亡、地上の50人以上が負傷
 機長の悪天候に対する考慮不足。事故当時空港周辺では風速約20メートルの強い横風が吹いており、事故機は離陸中の174フィートまで上昇した時に強い下降気流に巻き込まれて失速、滑走路端に衝突して住宅街に突入した。
 補助翼を本来30度にするべきところを15度にしか設定していないという、パイロットの不手際も指摘される。
46UTA航空772便爆破事件:UTA Flight 772
1989年9月19日13時35分頃(UTC+0100)
フランス・UTA航空772便 DC-10-30(N54629)
コンゴ共和国・ブラザビル発、チャド・ンジャメナ、フランス・マルセイユ経由、同国・パリ行き
ニジェール・ビルマ付近のテレネ砂漠上空35,000フィート
16.8649N, 11.9537E
乗員14人乗客156人の170人全員死亡
 リビア政府による爆破テロ。前部貨物室に搭載されたスーツケースに爆弾が仕掛けられていた。スーツケース持ち主はンジャメナで降りていた。
遺族によって2007年に墜落地点付近に犠牲者数でる170枚のガラス片を用いたメモリアルが製作された。
47プルコボ航空612便墜落事故:Pulkovo Aviation Enterprise Flight 612
2006年8月22日15時39分頃(UTC+0300DST)
プルコボ航空612便 Tu-154M(RA-85185)
ロシア・アナパ発、同国サンクトペテルブルク行き
ウクライナ ドネツィク州ドネツィクから北西約45キロ
48.1959N, 37.4444E
乗員10人乗客160人の170人全員死亡
 操縦ミスによる最大飛行高度超過。嵐を上昇して回避しようとしたあまり、39,242フィートまで上昇した。しかし予想より嵐が発達していたため激しい乱気流に巻き込まれ、10秒間で41,975フィートまで持ち上げられ、迎え角46度・対気速度0ノットに陥り、回復不能な失速状態のまま墜落した。
 プルコボ航空では燃料の節約を乗務員に強く求めており、事故原因の1つになったと指摘された。
48ケニア航空431便墜落事故:Kenya Airways Flight 431
2000年1月30日21時10分頃(UTC+0000)
ケニア航空431便 A310-304(5Y-BEN) 機体愛称"Harambee Star"
ケニア・ナイロビ発、コートジボワール・アビジャン経由、ナイジェリア・ラゴス行き
コートジボワール ラギューヌ州アビジャン
アビジャン空港沖のギニア湾
乗員10人乗客169人の内169人死亡、10人生存
 失速警報の誤作動時にパイロットが操縦桿を押し倒した操縦ミス。離陸直後の高度約300フィート時に失速警報が誤作動したが、この時操縦していた副操縦士は警告に従って操縦桿を倒し、警報を解除した。対地接近警報装置が一瞬作動した後、フラップが降りた状態だったため速度超過警報が作動、機長は「上げろ!」と指示したが、空港から約2.8キロの海上に墜落した。
 事故機はナイロビ発ラゴス経由アビジャン行きの予定であったが、ラゴスが砂嵐で着陸できなかったため、先にアビジャンに着陸し、ラゴスに向かおうとしていた。
 ケニア航空として初めての死亡事故であり、コートジボワール国内でも最悪の事故となった。
49カスピアン航空7908便墜落事故:Caspian Airlines Flight 7908
2009年7月15日11時33分頃(UTC+0530DST)
カスピアン航空7908便 Tu-154M(EP-CPG)
イラン・テヘラン発、アルメニア・エレバン行き
イラン ガズヴィーン州ガズヴィーン郡ジャンナターバード村
36.0833N, 49.5938E
乗員15人乗客153人の168人全員死亡
 詳細は調査中。技術的な原因だと言われている。
 事故機の尾翼部分で火災が発生し安全に着陸できる場所を探しているうちに墜落、農地へ墜落し大破した。
50メキシカーナ航空940便墜落事故:Mexicana Flight 940
1986年3月31日9時15分頃(UTC-0500DST)
メキシカーナ航空940便 B727-264(XA-MEM) 愛称"El matthew"
メキシコ・メキシコシティ発、同国ハリースコ経由、米国カリフォルニア州ロサンゼルス行き
メキシコ メキシコシティ国際空港から約150キロ、マラヴァティオの山岳地帯
19.1007N, 101.5359W
乗員8人乗客159人の167人全員死亡
 離陸時に過熱した左車輪のブレーキによって、窒素ではなく圧縮空気を注入されていた車輪が爆発。爆発の衝撃で左ギアドアが吹き飛び左翼に激突、左翼の燃料パイプや油圧系統・電気系統が破断され急減圧・炎上しながら山岳地帯へ墜落した。
50パキスタン国際航空268便墜落事故:Pakistan International Airlines Flight 268
1992年9月28日14時30分頃(UTC+0545?DST?)
パキスタン国際航空268便 A300B4-203(AP-BCP)
パキスタン・カラチ発、ネパール・カトマンズ行き
ネパール カトマンズ トリブバン国際空港から約15キロのバードガオンの山岳地帯
27.3158N, 85.1705E
乗員16人乗客151人の167人全員死亡
 パイロットエラーによる着陸時のCFIT。パイロットが飛行地点より先の空域を飛行していると勘違いして再低飛行高度を割り込み、山岳地帯で墜落した。
 犠牲者数でパキスタン国際航空史上、及びネパール国内史上最悪の事故で、エアバスA300機で初めての運行中の全損事故となった。
52アエロフロート4227便墜落事故(英語版):Aeroflot Flight 4227
1980年7月7日0時39分頃(UTC+0600?DST?)
アエロフロート4227便 Tu-154B-2(СССР-85355)
アルマアタ(現在のカザフスタン・アルマトイ)発、シンフェロポリ(現在のウクライナ国内)行き
ソビエト連邦・アルマアタ(現在のカザフスタン・アルマトイ)郊外の小麦畑
43.2775N, 76.8958E
乗員10人乗客153人の163人全員死亡
 離陸上昇中に30〜40度の高気温の空域に突入し対気速度が低下し、同時にダウンドラフトに遭遇した。離陸直後の重量が重い状態だったことが災いして失速。小麦畑に墜落した後分解炎上しながら脇の谷へ転落した。
52ダナ・エア992便墜落事故:Dana Air Flight 992
2012年6月3日15時43分(UTC+0100)
ダナ・エア992便 MD-83(5N-RAM)
ナイジェリア ラゴス ムルタラ・モハンマド国際空港手前の住宅街
6.3438N, 3.1916E
乗員6人乗客147人の153人全員と、地上の10人の、163人が死亡
調査中。両エンジンともに推力を失い、再始動し続けたが空港手前の住宅街へ墜落した。
54全日空機雫石衝突事故:All Nippon Airways Flight 58
1971年7月30日14時2分頃(UTC+0900)
全日本空輸58便 B727-281(JA8329)
千歳発、東京国際空港(羽田)行き
×
航空自衛隊 F-86Fセイバー(92-7932)
日本 岩手県雫石町の上空28,000フィート
39.3925N, 141.0006E
全日空機の乗員7人乗客155人の162人全員死亡、自衛隊機の1人は生存、地上の1人が負傷
 自衛隊機がジェットコースに侵入し、旅客機と空中衝突した。
 航空自衛隊第1航空団松島派遣隊所属の自衛隊機は2機で訓練で有視界飛行を行っていたが、教官の指示に不備があったため訓練生機が訓練飛行が禁止されているジェットルートに侵入、約28,000フィートで訓練生機の右主翼に全日空機が左水平尾翼を引っ掛けるように空中衝突した。衝突で2機とも操縦不能に陥り、全日空機は墜落しながら音速の壁を突破して約15,000フィート付近で空中分解した。車輪の残骸が民家を直撃し、住人1人が負傷した。自衛隊機は隊員脱出後、きりもみ状態で田んぼへ墜落した。
 犠牲者数で当時世界最悪の航空機事故となった。
54インドネシア・エアアジア8501便墜落事故:Indonesia Airasia Flight 8501
2014年12月28日18時24分(UTC+0700)
インドネシア・エアアジア8501便 A320-216(PK-AXC)
インドネシア・スバラヤ発、シンガポール行き
インドネシア ブリトゥン島とボルネオ島の間のカリマタ海峡
3.3708S, 109.6911E
乗員7人乗客155人の162人全員が死亡
方向舵の作動を制限するラダーリミッターの接合部分に亀裂が入ったため何度も警報が作動し、パイロットが4回目の警報を止める際にサーキットブレーカーに振れたことで自動操縦が解除された。その後失速警報が鳴り始めて機長は操縦棹を押して機種を下げようとしたが、副操縦士は機種を引き続けたため昇降舵は中立位置のままで、失速して海面に衝突した。
56中国西北航空2303便墜落事故:China Northwest Airlines Flight 2303
1994年6月6日8時12分頃(UTC+0800)
中国西北航空2303便 Tu-154(B-2610)
陝西省西安発広東省広州行き
中華人民共和国 陝西省西安市郊外
34.16N, 108.54E
乗員14人乗客146人の160人全員死亡
 離陸直後に自動操縦に切り替えた際に異常振動が発生して空中分解した。
 原因は事故前日の整備時に自動操縦装置の信号ケーブルに、横方向の信号と縦方向の信号のケーブルを逆に接続するミスがあったため。パイロットは飛行前点検を怠っており、異常振動発生後の自動操縦の解除も遅れた。
56ウエスト・カリビアン航空708便墜落事故:West Caribbean Airways Flight 708
2005年8月16日3時5分頃(UTC-0430)
ウエスト・カリビアン航空708便 MD-82(HK-4374X)
パナマ・パナマシティ発、フランス領マルティニーク行き
ベネズエラ
スリア州マチクス郊外の山間部の牧場地帯
9.3959N, 72.3640W
乗員8人乗客152人の160人全員死亡
 度重なる上昇下降、特に機体の高度限界を超えた上昇により主翼に着氷し、その後不適切なアンチアイス(防氷装置)の使用により機体制御を失った。
 ウエスト・カリビアン航空では運航経費削減の為燃費対策をパイロットに求めていた。そのためパイロットは良い気流を探すため何度も上昇下降を繰り返していた。そしてアンチアイスの使用限界は31,900フィートであったにも関わらず33,000フィートまで上昇した時に使用したため、エンジン推力が電力供給に奪われ推力が落ちた。オートパイロットが高度を維持する為に機首を上げたと同時に、最悪のタイミングで乱気流に遭遇。この時機長は推力低下がエンジントラブルと誤った判断をし、機首下げを行わなかったため失速。毎分7,000フィートの急降下の末に湿地帯に墜落した。
 ウエスト・カリビアン航空は乗務員の過重労働や訓練不足、飛行履歴日誌の不搭載などの違反でコロンビア政府から罰金刑も受けていた。
#9-3「ウエスト・カリビアン航空708便」
58南アフリカ航空295便墜落事故:South African Airways Flight 295
1987年11月28日4時頃(UTC+0400)
南アフリカ航空295便 B747-244Bコンビ(ZS-SAS)
台湾・台北発、モーリシャス経由、南アフリカ・ヨハネスブルグ行き
モーリシャスから約250キロメートル沖のインド洋
19.1030S, 59.380E
乗員乗客159人全員死亡
 貨物室から機内火災が発生し、電気系統・操縦系統を損傷させるとともに有毒ガスが機内に充満したため。機体残骸は水深約4,500メートルの深海に沈んだため回収は困難を極めた。残骸の中には海流に乗ってマダガスカルに漂着したものもあったが、マダガスカル政府はアパルトヘイト政策に敵対していたため返還されなかった。
 当時南アフリカはアパルトヘイト政策により経済制裁を受けていたため、アンゴラ内戦に介入する際の新型兵器のロケット推進材である過塩素酸アンモニウムを秘密裏に旅客機に搭載していたと言われている。
 犠牲者には新婚旅行に向かっていたハル薗田夫妻や遠洋漁業の関係者など日本人も47人含まれている。
 事故後、連邦航空局(FAA)は貨物室の耐火性に関する耐空性改善通達(AD)を発行した。

#5-4「謎の炎」
58アメリカン航空965便墜落事故:American Airlines Flight 965
1995年12月20日21時45分頃(UTC-0500)
アメリカン航空965便 B757-223(N651AA)
米国フロリダ州マイアミ発、コロンビア・カリ行き
コロンビア カリ近郊のアルフォンゾ・ボニラ・アラゴン国際空港手前のエル・デルビオ山約8,900フィートの山頂付近
3.5045N, 76.0617W
乗員8人乗客155人の内159人が死亡、4人が生存
CFIT。着陸直前に着陸する滑走路を変更したため、無線中継ポイントを手動で入力しなおした際に自動検索機能によって正しく入力できず山岳地帯へ迷い込んだ。事故機は約2時間遅れており、遅れを取り戻そうと最短コースを取ることとなった。その際に飛行制御装置(FMS)に変更後のルートのウェイポイントである「ROZO」を入力しようとした際に、頭文字の「R」から首都ボゴタに向かう「ROMEO」と自動で判断し、アンデス山脈へ迷い込んだ。パイロットはFMSに任せっきりにしており、夜間であったため状況を把握できなかった。その後対地接近警報装置(GPWS)の警告音がなり、慌てて機種上げをしたがフライトスポイラーが展開したままだったため上昇できず、山頂付近に墜落した。
#2-4「上昇か?下降か?」
60ナイジェリア空軍機墜落事故(英語版にも記事無し):Nigerian Air Force Hercules crash
1992年9月26日(UTC+0100)
ナイジェリア空軍 ロッキード C-130H ハーキュリーズ
ナイジェリア ラゴス国際空港
乗員158人全員死亡
離陸時に4機のエンジンのうち3機が脱落して離陸に失敗した。
60エア・インディア・エクスプレス812便墜落事故:Air India Express Flight 812
2010年5月22日6時10分頃(UTC+0530)
エア・インディア・エクスプレス812便 B737-8HG(VT-AXV)
アラブ首長国連邦・ドバイ発、インド・マンガロール行き
インド カルナータカ州マンガロール マンガロール国際空港
12.5648N, 74.5225E
乗員乗客158人死亡、8人が生存
 機長が霧の中で不安定な着陸アプローチを行っており、高度が高すぎたため滑走路の中央付近で接地した。オーバーランの危険があったにも関わらず、着陸復航の判断が遅くオーバーランし滑走路端のフェンスに衝突、そのまま渓谷を滑り落ちた。
62リビア・アラブ航空1103便空中分解事故:Libyan Arab Airlines Flight 1103
1992年12月22日10時7分頃(UTC+0200)
リビアン・アラブ航空1103便 B727-2L5(5A-DIA)
ベンガジ発トリポリ行き
×
リビア防衛軍 MiG-23戦闘機
リビア トリポリ空港郊外の上空約3,000フィート
1103便は乗員10人乗客147人の157人全員死亡、戦闘機の乗員2人は生存
 着陸アプローチ中の旅客機に、研修中の戦闘機が空中衝突した。旅客機は空中分解した。
 ボーイング727の事故としては3番目に犠牲者数の多い事故。
63インターフルク機墜落事故(英語版にも記事無し)
East German Ilyushin airliner crash
1972年8月14日17時頃(UTC+0200DST)
東ドイツ・インターフルク Il-62(DM-SEA)
チャーター機
東ドイツ 東ベルリン郊外 ケーニヒス・ブスターハウゼン
52.3168N, 13.6340E
乗員8人乗客148人の156人全員死亡
 機内火災。離陸30分後に昇降舵が効かなくなったためベルリンに引き返すことになったが、火災により機体後部の構造が脆弱化したため、ベルリンのから約15キロメートルの東ドイツ国内のケーニヒス・ブスターハウゼンに墜落した。損傷が激しく火元は不明。
63パキスタン国際航空740便墜落事故(英語版):Pakistan International Airlines Flight 740
1979年11月26日2時頃(UTC+0500)
パキスタン国際航空740便 B707-340C(AP-AWZ)
ナイジェリア・カノ発、サウジアラビア・ジッダ経由、パキスタン・カラチ行き
サウジアラビア ジッダ国際空港郊外の砂漠地帯
21.30N, 39.51E
乗員11人乗客145人の156人全員死亡
 ジッダの空港を離陸してから約30分後に客室ラバトリー付近で機内火災が発生。客室でのパニックのためパイロットへの伝達が遅れ、火災発生から約17分後に緊急着陸する前に、ジッダ空港から東に約145キロメートルのアッターイフの砂漠地帯に墜落。
 火元は不明だが、メッカ参拝の乗客が持ち込んだ石油ストーブと言われる。また墜落の直接の原因はパイロットが有毒ガスを吸って操縦不能になったためと考えられている。
63ノースウエスト航空255便墜落事故:Northwest Airlines Flight 255
1987年8月16日20時46分頃(UTC-0500DST)
ノースウエスト航空255便 DC-9-82(N312RC)
ミシガン州サギノー発、同州デトロイト、アリゾナ州フェニックス経由、カリフォルニア州オレンジカウンティ行き
アメリカ合衆国 ミシガン州デトロイト デトロイト・メトロポリタン・ウェイン・カウンティ空港近くの州間高速道路94号線上
42.2400N, 83.3277W
乗員6人乗客148人の154人と地上の2人の156人が死亡。乗客1名が生存、地上の5人が重軽傷
 パイロットがタクシーチェックリストを行い忘れたためフラップとスラットを展開しないまま離陸しようとして失敗、高速道路へ墜落した。警報装置もブレーカーが開いて電力が遮断されていたため作動しなかった。
 タクシーチェックリストを行い忘れたのは、タキシング開始後に滑走路の変更が伝えられて、離陸重量の確認などに忙殺されていたため。
#7-2「ノースウエスト航空255便」
66アメリカ空軍のハーキュリーズ墜落事故(英語版にも記事無し):USAF Hercules crash
1968年5月12日(UTC+0700)
アメリカ空軍 ロッキードC-130B ハーキュリーズ
ベトナム
乗員155人が死亡、生存者不明
詳細不明
66ビアサ742便墜落事故:Viasa Flight 742
1969年3月16日12時頃(UTC-0430)
ビアサ航空742便 DC-9-32(YV-C-AVD)
ベネズエラ・カラカス発、同国マラカイボ経由、アメリカ・フロリダ州マイアミ行き
ベネズエラ マラカイボ グラノドオロ空港
10.5667N, 71.7333W
乗員10人乗客74人の84人全員と地上の71人の155人が死亡、地上で100人以上が重軽傷
 空港の温度計の誤った数値を離陸データに使用し、必要以上に地上滑走して離陸上昇高度が低くなった。そのため空港反対派住民が滑走路周辺に張り巡らせた高さ50メートルの電線を超えられずに接触、空港反対派住民が暮らす住宅街へ墜落した。
DC-9-30機としては最も犠牲者の多い事故で、ウエストカリビアン708便までベネズエラ国内最悪、民間旅客機としては全日空雫石衝突事故まで世界最悪の航空事故。
66スパンタックス機墜落事故(英語版にも記事無し):Spantax Convair 990 crash
1972年12月3日6時45分頃(UTC+0000)
スパンタックス CV-990-30A-5 コロナド(EC-BZR)
カナリア諸島テネリフェ発西ドイツ(現在のドイツ)・ミュンヘン行き
ルフトハンザドイツ航空との共同運航便
スペイン領カナリア諸島テネリフェ島ロス・ロデオス空港
28.4866N, 16.3434W
乗員7人乗客148人の155人全員死亡
 霧で視界ゼロの中で離陸を強行したが、慌てたパイロットが異常な操作を行ったため離陸に失敗、空港から約300メートルの地点で墜落。
66アメリカ空軍C-5サイゴン事故(オペレーション・ベビーリフト):1975 Tan Son Nhut C-5 accident
1975年4月4日16時15分頃(UTC+0700)
アメリカ空軍 ロッキードC-5 ギャラクシー(62-0218)
南ベトナムの孤児の米国本土避難輸送の第1便
南ベトナム(現在のベトナム国内) サイゴンのタンソンニャット基地付近上空約23,000フィート
10.5025N, 106.4151E
乗員155人が死亡、175人が生存
 戦場での困難な部品確保による機体の整備不良(共食い整備)のため、ハッチが吹き飛び操縦系統を破断した。コントロールが効かない中で何とか水田に不時着しようとしたが500km/h以上での不時着になり、機体が3つに破断した。機内2階の乗員の多くは生還したが、1階の乗員はほとんどが着地の衝撃で死亡した。
#6-5「米空軍C-5A ギャラクシー」
66トルコ航空452便墜落事故(英語版):Turkish Airlines Flight 452
1976年9月19日23時15分頃(UTC+0300DST)
トルコ航空452便 B727-2F2Adv(TC-JBH)
イタリア・ミラノ発、トルコ・アンタリア行き
トルコ イスパルタ近郊のカラテペ山
37.8916N, 30.5011E
乗員8人乗客147人の155人全員死亡
 パイロットが地上のイスパルタの夜景を見て、目的地であるアンタリアと勘違いして降下、山岳地帯へ墜落したCFIT
71ゴル航空1907便墜落事故:Gol Transportes Aereos Flight 1907
2006年9月29日16時57分頃(UTC-0400)
ゴル航空1907便 B737-8EH(PR-GTD)
マナウス発、ブラジリア経由、リオデジャネイロ行き
×
エクセルエアへの納入機 エンブラエルEMB-135BJ レガシー600(N600XL)
ブラジル マットグロッソ州の熱帯雨林上空37,000フィート
10.29S, 53.15W
ゴル航空機の乗員6人乗客148人の154人全員死亡、エンブラエル機の乗員7人は生存
 エンブラエル機側のパイロットがトランスポンダーを設定していないミスによって空中衝突防止装置(T-CAS)が作動せず、スコールの時間帯に雲の中で空中衝突した。すれ違いざまにエンブラエル機の左翼のウイングレットがゴル機の左翼を切断した。エンブラエル機はウイングレットを失ったものの生還できたが、左翼を切断されたゴル機はアマゾン川流域の熱帯雨林へほぼ垂直に墜落した。
 ゴル航空にとって初の死亡事故で、PR-GTDも引き渡しから18日・総飛行時間234時間とB737で最短命となった。
#5-10「無線沈黙」、#番外編2-1「通信システム故障」
72パンアメリカン航空759便墜落事故:Pan Am Flight 759
1982年7月9日16時9分頃(UTC-0500DST)
パンアメリカン航空759便 B727-235(N4737)
フロリダ州マイアミ発、ルイジアナ州ニューオーリンズ経由、ネバダ州ラスベガス行き
アメリカ合衆国 ルイジアナ州 ニューオーリンズ空港郊外のケナーの住宅地
29.5915N, 90.1408W
乗員8人乗客137人の145人全員と地上の8人の153人が死亡。地上の16人が重軽傷
 離陸直後に乱気流によるマクロバーストに遭遇し、滑走路端の木に衝突して住宅地に墜落した。離陸時に強風が吹いていたために速めの離陸速度を設定し、機内空調を切ってエンジン推力を確保していたが自然の脅威には打ち勝てなかった。
72スパンエアーJK5022便離陸失敗事故:Spanair Flight 5022
2008年8月20日14時45分頃(UTC+0200DST)
スパンエアーJK5022便 MD-82(EC-HFP)
マドリード発カナリア諸島・グランドカナリー行き
ルフトハンザドイツ航空との共同運航便
スペイン マドリード・バラハス国際空港
40.3148N, 3.3413W
乗員乗客153人が死亡、19人が生存
 フラップやスラットが格納されたままという異常設定のまま離陸を行おうとしたため離陸直後に左に傾いて墜落。警報装置も故障していた。
 この便は13時ちょうど発の予定だったが、エンジンの空気取り入れバルブが過熱状態だったため、引き返して整備を行っていた。
74イエメニア626便墜落事故:Yemenia Flight 626
2009年6月30日1時50分頃(UTC+0300)
イエメニア626便 A310-324(7O-ADJ)
イエメン・サヌア発、ジブチ共和国・ジブチ経由、コモロ・モロニハハヤ行き
グランドコモロ島沖のインド洋
11.1859S, 43.1937E
乗員11人乗客141人の152人が死亡、乗客1人が生存
 CFIT。目的地の空港は着陸前に周辺を周回することになっていたが、経路から外れてパイロットが位置を気にする間に対地接近警報装置と失速警報が作動した。しかしパイロットは過労気味だったらしく対応する前に海面に墜落した。
 墜落から約10時間後に、機体の残骸に捕まって漂流する乗客の少女1人が救助された。
74エアブルー202便墜落事故:Airblue Flight 202
2010年7月28日9時45分頃(UTC+0500)
エアブルー202便 A321-231(AP-BJB)
カラチ発イスラマバード行き
パキスタン イスラマバード近郊のマルガラ丘陵
33.4423N, 73.0329E
乗員6人乗客146人の152人全員死亡
霧のため管制官が他空港へのダイバートを進める中、イスラマバードへ着陸を強行しようとしたパイロットミスによるCFIT。機長は他のクルーにキツく当たる尊大な人物で、コックピット内は険悪な雰囲気だったらしい。
76ジャーマンウィングス9525便墜落事故:Germanwings Flight 9525
2015年3月24日10時53分頃(UTC+0100)
ジャーマンウィングス9525便 A320-211(D-AIPX)
スペイン・マドリード発ドイツ・デュッセルドルフ行き
フランス アルプ=ド=オート=プロヴァンス県メオランルベル
44.2979N, 6.4670E
乗員6人乗客144人の150人全員死亡
副操縦士による故意の墜落。機長が席を外した際にコックピットのドアをロックして急降下した。副操縦士が深く落ち込んでいる様子の目撃証言や、精神科への受診歴なども確認された。9525便はニースから北西に約100キロのアルプス山脈山中、標高約2,000メートルの木が無く山肌がむき出しになっているところに加速しながらまっすぐ墜落して激しく砕け散った。
77マンダラ航空RI091便墜落事故:Mandala Airlines Flight 091
2005年9月5日9時37分頃(UTC+0700)
マンダラ航空091便 B737-230(PK-RIM)
メダン発ジャカルタ行き
インドネシア 北スマトラ州メダン メダン・ポロニア空港近郊
3.35N, 98.40E
乗員乗客102人と地上の47人の149人が死亡。乗員乗客15人が生存
 パイロットが離陸前のリストに従ったチェックを怠たり、フラップとスラットを展開しないまま離陸滑走を開始したため墜落。離陸直後に滑走路端から約500メートルの渋滞する幹線道路沿いの住宅街に墜落し、自動車5〜6台と住宅約10件を巻き込んで炎上した。
 本来であれば離陸前にフラップとスラットを所定の位置まで下げなかった場合離陸警報が作動するが、091便では作動していなかった。
78イベリア航空610便墜落事故:Iberia Airlines Flight 610
1985年2月19日9時27分頃(UTC+0100)
イベリア航空610便 B727-256(EC-DDU)
マドリード発ビルバオ行き
スペイン バスク自治州ビスカヤ県ビルバオ郊外のオイス山
43.1343N, 02.35W
乗員7人乗客141人の148人全員死亡
パイロットエラーによるCFIT。副操縦士が自動操縦と平行する間、機長は高度警報をセットしたが作動せず、オイス山の山頂のテレビアンテナ塔に衝突して左翼を喪失、ビルバオのソンディか空港から南東に約30キロメートル地点で墜落した。パイロットが使用していた地図にはオイス山が記されていなかった。
79フラッシュ航空604便墜落事故:Flash Airlines Flight 604
2004年1月3日4時44分頃(UTC+0200)
フラッシュ航空604便 B737-3Q8(SU-ZCF)
エジプト・シャルムエルシェイク発、フランス・パリ行き
チャーター機
エジプト シャルムエルシェイク空港近くの紅海
27.50N, 34.23E
乗員13人乗客135人の148人全員死亡
 機長が空間識失調に陥ったと推測されている。夜間の海上で機体が右に傾いた際に機長は操縦桿を右に傾け、最終的に回復不能なほど右に傾いて墜落した。副操縦士は操作ミスに気付いていたらしいが目上の機長に意見できなかった。高度約5,000フィートから海面まで約17秒で急降下して墜落大破、深海約1,000メートルに沈んだ為遺体・残骸回収は困難を極めた。
 乗客のうち133人がバカンスに来ていたフランス人だった。フラッシュ航空は以前からスイスの調査機関の抜き打ち試験に合格できずスイスへの乗入を禁止されていたが、この事故がEU諸国で統一のEU域内乗り入れ禁止航空会社がリストアップされるきっかけになった。
#4-9「方向感覚の喪失」、#番外編1-3「パイロットは誰?」
80ダン・エア1008便墜落事故(英語版):Dan-Air Flight 1008
1980年4月25日13時21分頃(UTC+0100DST)
ダン・エア1008便 B727-46(G-BDAN)
イギリス・マンチェスター発、スペイン領カナリア諸島テネリフェ行き
スペイン領カナリア諸島 テネリフェ島ロス・ロデオス空港から南に約8キロメートルのピコ・デ・チンゲル山の山頂付近
28.2353N, 16.2505W
乗員8人乗客138人の146人全員死亡
 パイロットエラーによるCFIT。曇天の中着陸アプローチ中に自機の位置を誤認して航路を逸脱、3600メートル級の山岳地帯へ迷い込み墜落した。空港への進入ルートに無理があること、管制官がノンレーダー管制を行ったため正確な位置を伝えられなかったことも重なった。
 事故機は元日本航空・元東亜国内航空のJA8318。
81ウラジオストク352便墜落事故(英語版):Vladivostok Air Flight 352
2001年7月4日2時10分頃(UTC+0900DST:当時)
ウラジオストク航空352便 Tu-154M(RA-85845)
エカテリンブルグ発、イルクーツク経由、ウラジオストク行き
ロシア イルクーツク空港から約22キロメートルのブルダコフカ村の森林地帯
52.17N 104.16E
乗員9人乗客136人の145人全員死亡
曇天の中2回着陸に失敗し、3回目の着陸アプローチ中にエンジンが故障して墜落したらしい。
82パシフィック・サウスウエスト航空182便墜落事故:Pacific Southwest Airlines Flight 182
1978年9月25日9時2分頃(UTC-0700DST)
パシフィック・サウスウエスト航空182便 B727-214(N533PS)
カリフォルニア州サクラメント発、同州ロサンゼルス経由、同州サンディエゴ行き
×
訓練中の自家用機 セスナ172スカイホーク(N7711G)
アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンディアゴ サンディアゴ国際空港付近の住宅街ノースパーク上空約2,600フィート
32.4437N, 117.0714W
旅客機の乗員7人乗客128人の135人全員と、セスナ機の乗員2人全員、地上の7人の計144人が死亡。地上の7人が重軽傷
 旅客機がセスナを見失った際にあやふやな回答をし、それを管制が過信したまま着陸を指示したため。
 事故の約3分前に旅客機は管制官からセスナ機の存在を伝えていたが、旅客機のパイロットは別の航空機をそのセスナ機と誤認し、そのまま視認したと返答した。管制官はこの返答で、セスナ機のパイロットへ旅客機は視認した事を伝えた。しかしその後、着陸アプローチ中の旅客機が左上からセスナ機に追いつくと言う視認しづらい形で追いつき、衝突9秒前に気付いたものの間に合わず、旅客機の右翼がセスナ機に追突する形で衝突した。セスナ機はその場で空中分解して墜落、旅客機も制御不能になり急降下して住宅街に墜落した。
 ヒューマンエラーによる事故の典型例として、パイロット教育課程では必ず教えられる事故。
#9-9「パシフィック・サウスウエスト航空182便」
82インディペンデント航空1851便墜落事故:Independent Air Flight 1851
1989年2月8日13時8分頃(UTC-0100)
インディペンデント航空1851便 B707-331B(N7231T)
イタリア・ベルガモ発、 ポルトガル領アゾレス諸島経由、ドミニカ共和国・サントドミンゴ行き
ポルトガル領アゾレス諸島 サンタマリア島サンタマリア空港から約7キロメートルのピコ・アルト山の尾根
36.9667N, 25.1W
乗員7人乗客137人の144人全員死亡
 副操縦士と管制官の双方が不適切な通信を行ったことが主原因のCFIT。
 着陸アプローチ中管制官は3,000フィートに降下するよう指示を出したが、この際に訓練管制官が誤った気圧高度計設定値を伝えた。この時操縦士は指示を完全には聞き取れておらず、2,000フィートと判断した。副操縦士は疑問を感じたが、機長が正しく聞いたと信じた。2,000フィートまで降下して水平飛行に移行した際に乱気流に遭遇、直後に標高1,795フィートの山の尾根に衝突した。クルーの経験の少なさも不幸となった。
84ADC航空86便墜落事故(英語版):ADC Airlines Flight 86
1996年11月7日17時50分頃(UTC+0100)
ADC航空086便 B727-231(5N-BBG)
ポートハーコート発ラゴス行き
ナイジェリア マータラ・モハメッド空港郊外
6.8289N, 3.5636E
乗員9人乗客134人の143人全員死亡
着陸アプローチ中に他機との衝突を避けようとした際の操作が過大でコントロールを失って、空港から北東に約40キロメートルの熱帯雨林に墜落した。
85ガルフ・エア072便墜落事故:Gulf Air Flight 072
2000年8月23日19時30分頃(UTC+0300)
ガルフ・エア072便 A320-212(A40-EK)
エジプト・カイロ発、バーレーン・マナマ行き
バーレーン バーレーン国際空港沖のペルシャ湾
26.1720N, 50.3800E
乗員8人乗客135人の143人全員死亡
 3度目の着陸復航中、夜間の海上でパイロットが空間識失調に陥り、上昇するべきにも関わらず降下してバーレーン国際空港の沖合約6キロメートルの地点に墜落した。
86中国南方航空3943便墜落事故(英語版):China Southern Airlines Flight 3943
1992年11月24日7時30分頃(UTC+0800)
中国南方航空3943便 B737-3Y0(B-2523)
広東省広東発、同省桂林行き
中華人民共和国 広東省桂林郊外の広西壮族自治区リウタンの山腹
25.0562N 110.5256E
乗員8人乗客133人の141人全員死亡
 着陸アプローチ中に桂林から南東に約25キロメートルの広西壮族自治区リウタンの山腹に墜落、炎上した。自動操縦状態でオートスロットルも使用して水平飛行中に、左エンジンのスラストレバーだけが前に進み推力が増して右に傾き、そのままバランスを失い修正できず墜落した。事故機は離陸直後にも左右のエンジンの推力のアンバランスに見舞われていたが、この時は手動で立てなおしていた。
86トランスサービスエアリフト機墜落事故(英語版にも記事無し):1995 Trans Service Airlift L-188C Electra crash
1995年12月18日(UTC+0100)
トランスサービスエアリフト ロッキードL-188Cエレクトラ(9Q‐CRR)
アンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)のチャーター機
アンゴラ カハングラ
乗員4人乗客137人の141人が死亡。乗員1人乗客2人の3人生存
 定員を約40人に超過し、最大着陸重量をも超過した状態で離陸を強行して失敗、墜落した。機体は1959年製の経年機だった。
86ヴヌーコヴォ航空2801便墜落事故(英語版):Vnukovo Airlines Flight 2801
1996年8月29日8時22分頃(UTC+0000DST)
ヴヌーコヴォ航空2801便 Tu-154M(RA-85621)
ロシア・モスクワ発、ノルウェー領スバーバル諸島ロングイェールビーン行き
ノルウェー領スバールバル諸島 オペラフィエレット山
78.1284N 16.0571E
乗員11人乗客130人の141人全員死亡
 スバールバル空港へ着陸アプローチ中に進入ルートの入力を誤ったことによるCFIT。
89UTAギニア航空141便墜落事故(英語版):UTAGE Flight 141
2003年12月25日14時55分頃(UTC+0100)
UTAギニア航空141便 B727-223(3X-GDM)
ギニア・コナクリ発、シエラレオネ・フリータウン、ベナン・コトヌー、レバノン・ベイルート経由、アラブ首長国連邦・ドバイ行き
ベナン コトヌー カジェホン空港沖合のギニア湾
6.22N, 2.25E
乗員乗客140人死亡、22人生存
 離陸に失敗して滑走路をオーバーラン、ほとんど上昇することが出来ないまま滑走路端の無線設備に主脚が接触し、ギニア湾への海岸線付近に墜落して爆発炎上した。過積載が疑われている。
 犠牲者の大半は西アフリカ諸国に在住している通商のレバノン人で、クリスマス休暇を利用して母国のレバノンに帰省する途中だった。また国連平和維持活動軍として派遣されていたバングラデシュ兵も15人(シエラレオネ派遣兵2人、リベリア派遣兵13人)犠牲になった。
90アビアンカ航空410便墜落事故:Avianca Flight 410
1988年3月17日13時17分頃(UTC-0500)
アビアンカ航空410便 B727-21(HK-1716)
ククタ発、バランキヤ経由、カルタヘナ行き
コロンビア ククタ カミーロ・ダサ国際空港近くのエル・エスパルティージョ山
8.0837N, 72.6925W
乗員7人乗客132人の139人全員死亡
 離陸直後に近くの山に墜落するCFIT。霧で視界不良にも関わらず、計器飛行方式ではなく有視界飛行方式で飛行していた。
 またコックピット内にクルーでない人間が居て気が散った、機長と副操縦士のチームワークが悪かったなど言われている。
91デルタ航空191便墜落事故:Delta Air Lines Flight 191
1985年8月2日18時5分頃(UTC-0500DST)
デルタ航空191便 ロッキードL-1011 トライスター(N726DA)
フロリダ州フォート・ローダーデール発、テキサス州ダラス経由、カリフォルニア州ロサンゼルス行き
アメリカ合衆国 テキサス州ダラス ダラス・フォートワース国際空港手前のテキサス州高速道路114号線上
32.8731N, 97.0412W
乗員8人乗客129人の137人と地上の1人の計138人が死亡。乗員3人乗客26人の29人が生存。(※文献によって135人〜140人と幅あり)
 着陸アプローチ中に雷雲から雲が地上に向かって落ちてくるマイクロバースト現象により発生した追い風と下降気流で機体が急降下した。1度は体勢を立て直したが、再び追い風に煽られて失速。主脚が高速道路の自動車を1台と接触した後、滑走路から1.9キロメートル地点で左翼が電柱に接触、左向きに進行方向を変えて貯水タンクに突っ込んで大破炎上した。191便の前の旅客機は着陸できたためパイロットはそれに続こうとした。
 この事故でIBM社のPC開発メンバーが多数犠牲になり、その後の業績に影響を与えた。それ以後多くの大企業は従業員の搭乗人数に制限を設けるようになった。
#5-1「大地への激突」、#番外編2-2「残酷な空」
92VASP航空168便墜落事故:VASP Flight 168
1982年6月24日夜間(UTC-0300)
VASP航空168便 B727-212(PP-SRK)
サンパウロ発フォルタレザ行き
ブラジル セアラー州パカチュパ付近のセラ・ダ・アラタンハ
3.4652S, 38.5219W
乗員9人乗客128人の137人全員死亡
パイロットエラーによるCFIT。高度警報装置が2回警告し、副操縦士も前方に丘があることを指摘したにも関わらず、機長は安全最低高度を下回っても降下操作を続けたため、山腹の森に墜落した。
事故発生時には犠牲者数でブラジル史上最悪の事故であった。
931960年ニューヨーク空中衝突事故:1960 New York mid-air collision
1960年12月16日10時33分頃(UTC-0500)
ユナイテッド航空826便 DC-8-11(N8013U)
イリノイ州シカゴ発ニューヨーク州ニューヨーク行き
×
トランスワールド航空266便 ロッキード L-1049 スーパーコンステレーション(N6907C)
フロリダ州デイトナ発、オハイオ州コロンバス経由、ニューヨーク州ニューヨーク行き
アメリカ合衆国
ニューヨーク州スタテン島ニュードープのミラー空軍基地上空約5,000フィートの雲の中
40.3407N, 74.0719W
UA機の乗員7人乗客77人の84人全員、TW機の乗員5人乗客39人の44人全員、地上の6人の計134人が死亡
 小雨と霧と雪が混じる中、ユナイテッド機が計器方式飛行を行わず不適切な短縮ルートを取ったため通常航路から約15キロメートル逸脱し、着陸アプローチ中のトランスワールド機に衝突した。UA機に搭載されていた2台のVOR受信機の内1台は故障していた。そのためパイロットはADRを使用していたが、計器の表示に誤解があったため自機の位置を錯覚していた。この状況を航空管制が把握できていなかったことも問題となった。
 衝突後、TW機はそのまま空軍基地内に墜落、UA機は約13.5キロメートル離れたニューヨーク市ブルックリン地区パーク・スロープの市街地に墜落した。米国内で初めて発生したジェット旅客機による死亡事故で、DC-8にとっても初の機体喪失事故であり、犠牲者数で当時世界最悪の航空事故となった。
 この事故の後アメリカの航空管制システムはレーダー管制へ全面的に改良された。また米国内を飛行する大型機にはトランスポンダーの設置が義務つけられた。
93イランエア・ツアーズ機空中衝突事故(英語版にも記事無し):An Iran Air Tours mid-air collision
1993年2月8日10時15分頃(UTC+0330)
イランエア・ツアーズ臨時便 Tu-154M(EP-ITD)
テヘラン発マシャド行き
×
イラン空軍 Su-24戦闘機
イラン テヘラン メヘラーバード国際空港の近隣、カラジ空軍基地上空約1,300フィート
35.6954N, 51.2759E
旅客機の乗員13人乗客119人と戦闘機の乗員2人の134人全員死亡
 航空ショーに備えて訓練中の戦闘機とチャーター機であった旅客機が空中衝突。
 旅客機はアエロフロートからのリース機だった。
95全日空羽田沖墜落事故:All Nippon Airways Flight 60
1966年2月4日19時0分頃(UTC+0900)
全日本空輸60便 B727-81(JA8302)
千歳発羽田行き
日本 東京都 羽田空港沖の東京湾
35.5305N, 139.8820E
乗員7人乗客126人の133人全員死亡
 グランドスポイラーのリンク機構の不具合から、フライトスポイラーを展開したと同時にグランドスポイラーも展開して失速したのが主原因と推測されている。他にも高度計の確認ミスや急激な高度低下などの操縦ミスが推測されているが、CVR・FDR共に非搭載の為に原因不明。
 事故発生時には単独機の事故としては犠牲者数が史上最多の事故であった。
95インドネシア空軍ハーキュリーズ墜落事故(英語版にも記事無し):Indonesian Air Force Hercules crash
1991年10月5日
インドネシア空軍 ロッキード C-130H-30 ハーキュリーズ
インドネシア
乗員133人死亡、生存者不明
詳細不明
97アエロフロート8641便墜落事故(英語版):Aeroflot Flight 8641
1982年6月28日(UTC+0200?DST?)
アエロフロート8641便 ヤコヴレフYak-42(SSSR-42529)
ソビエト連邦(現ロシア国内)レニングラード(現:カリーニングラード)発、ソ連(現ウクライナ国内)キエフ行き
ソビエト連邦(現在のベラルーシ国内)、キエフの北西約200キロメートル
乗員8人乗客124人の132人全員死亡
 水平安定板の機構内部であるスクリュージャッキが摩耗し、高度30,000フィートで突然水平安定板がプラス方向へ大きく動き、機体のバランスが崩れた。機長の回復操作も虚しく高度19,000フィートで機体設計強度を越えて空中分解した。スクリュージャッキ摩耗の原因はねじ溝のピッチが削り取られているという製造ミスと潤滑油の不適切な使用のため。
97廈門航空機ハイジャック事件:1990 Guangzhou Baiyun airport collisions
1990年10月2日9時4分頃(衝突時刻、UTC+0800?DST?)
廈門航空8301便 B737-247(B-2510)
廈門発広州行き
×
中国南方航空2812便 B757-21B(B-2812)
広州発上海行き
×
中国南方航空 B707-3J6B(B-2402)
中華人民共和国
 広東省広州市 広州白雲国際空港(旧空港)
23.1059N 113.1554E
8301便の84人、2812便の47人、地上の1人、合計132人が死亡、3機合計97人が生存
 8301便がハイジャックされ、広州へ着陸する際にハイジャック犯が激怒して機長ともみ合い着陸に失敗。離陸待機中の2812便に衝突、次いで駐機場のB707と空港内作業車に衝突して、8301便は横転した。
97SAMコロンビア航空501便墜落事故(英語版):SAM Colombia Flight 501
1993年5月19日15時6分頃(UTC-0500)
SAMコロンビア航空501便 B727-46(HK-2422X)

パナマ・パナマシティ発、コロンビア・メデジン経由、同国サンタフェデボゴタ行き
コロンビア メデジン近郊のウラオ・アンティオキア山
6.4954N, 76.1050W
乗員7人乗客125人の132人全員死亡
 悪天候の中メデジンのホセ・マリア・コルドバ空港へ着陸アプローチ中にメデジン市北西約80キロメートルで山腹に衝突した。パイロットと航空管制の双方のミスによるCFITで、メデジン市北西約80キロメートルで山腹に衝突した。悪天候の中、パイロットは100キロメートル先の無線標識(NDB)を通過したと誤解して、メデジン市北西約80キロメートルの山岳地帯で着陸アプローチを始めていた。
97USエア427便墜落事故:USAir Flight 427
1994年9月8日19時3分頃(UTC-0400DST)
USエア427便 B737-3B7(N513AU)
イリノイ州シカゴ発、同州ピッツバーグ経由、同州ウェストパームビーチ行き
アメリカ合衆国 ペンシルバニア州ビーバー群ホープウェル郡区
40.6039N, 80.3102W
乗員5人乗客127人の132人全員死亡
 サーボバルブの劣化によるラダー制御装置の作動不良により、方向舵がパイロットの操作と逆方向に動くラダーリバーサルが発生し、修正しようとしてラダーを限界まで操作したためラダーが折損した。制御不能に陥ってピッツバーグ空港の約15キロメートル手前に墜落した。
 当初は原因が分からず、約8キロメートル前方を飛行していたデルタ航空のB727のジェットウォッシュを受けて墜落したのかと疑われた。B737経年機の原因不明事故の1つで、USエアーはこの事故以前5年間で5回の事故に見舞われていた。
#4-5「737型機に潜む危険」
出展:Aviation Safety Networkより"100 worst accidents"PlainCrashInfo.comより"100 WORST AVIATION DISASTERS"


2016年7月16日 スマホ・タブレットで読みやすいようにレイアウト更新
2016年1月30日 コガリムアビア9268便を追加(24番目)。こんな頻度で更新しているのはちょっと複雑。
2015年3月28日 ジャーマンウィングス9525便を追加(75番目)
2015年1月15日 インドネシア・エアアジア8501便を追加(53番目)
2014年8月20日 マレーシア航空17便を追加(7番目)
2014年6月3日 世界の航空機事故ワースト100の表を追加
2011年8月2日 メーデー!なリストの詳細 公開開始